宇治神社

莵道稚郎子

応神天皇の皇子 莵道稚郎子が、兄の仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治川に入水し、その霊を祀ったことが由来といわれる。明治維新までは、宇治上神社と一対で「宇治離宮明神」と称され、その下社であった。

宇治神社

宇治神社について

基本情報

社名
宇治神社(うじじんじゃ)
創建
不詳
主祭神
菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)
旧社格
式内社、府社
例祭
5月8日、6月8日
駐車場
駐車場なし
交通機関
京阪宇治駅徒歩5分
住所
京都府宇治市宇治山田1

概要

宇治の産土神で宇治川沿いにある古社。 「日本書紀」によれば、応神天皇の皇子 莵道稚郎子が、兄の仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治川に入水し、仁徳天皇が、弟の邸宅 莵道の宮(うじのみや)に、霊を祀ったことが由来といわれる。 対岸に平等院が建立されると、その鎮守社とされた。 明治維新までは、宇治上神社と一対で「宇治離宮明神(うじりきゅうみょうじん)」と称され、その下社であった。 祭神の菟道稚郎子は、「源氏物語 宇治十帖」の八宮(はちのみや)のモデルともいわれている。 毎年6月8日には、宇治上神社との合同祭「宇治離宮祭 」が行われ、市中を神輿が巡行する。

見所

国重要文化財
本殿 - 鎌倉時代初期の建立。応神天皇皇子 菟道稚郎子の宮居跡といわれる。
木造莵道稚郎子命坐像 - 平安時代中期の作。
市文化財
白色尉面 - 桃山時代の作。「雪掻きの面」と称される翁面。
木造狛犬 - 鎌倉時代前期の作。現存する木造狛犬としては最大級。(宇治市歴史資料館寄託)
観光名所
拝殿 - 桐原殿と称される。
兎の手水 - 菟道稚郎子が、この地に来て道に迷った際、一羽の兎が現れ、振り返り道案内したという。
摂末社 - 春日社、日吉社、住吉社、廣田社、松尾社、高良社、伊勢両宮社。
源氏物語宇治十帖のモニュメント - 主祭神の菟道稚郎子は、「源氏物語 宇治十帖」の八宮のモデルともいわれる。

祭事

毎月1日
月次祭
1月1日
歳旦祭
2月3日
節分祭(星祭)
4月第2日曜
水神祭(宇治川祭)
5月8日
例祭(神幸祭)
6月5日
幣渡祭(梵天渡御祭)
6月8日
宇治離宮祭 - 宇治上神社との合同祭で、「宇治の祭」と称され、市中を神輿が巡行する。平安時代末から鎌倉時代にかけて藤原氏の援助を受けて、神馬が奉納され、競馬、田楽などの芸能が奉納されていた。
6月30日
大祓式
10月1日
献茶祭
12月中旬日曜
火焚祭
12月31日
大祓式

歴史

270年~310年
この地に応神天皇の離宮があり、宇治上神社と一対で「宇治離宮明神」や「離宮社」、「離宮八幡」とも称されていたと伝わる。
312年
「日本書紀」によれば、応神天皇の皇子 莵道稚郎子が、兄の仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治川に入水したとある。兄の仁徳天皇が、弟の邸宅 莵道の宮に、霊を祀ったことが由来といわれる。
1052年
平等院が創建され、鎮守社とされた。
平安時代後期
延喜式神名帳には「山城国宇治郡 宇治神社二座」とある。
明治維新
離宮下社が宇治神社に、離宮上社が宇治上神社に分離した。

撮影後記

 世界遺産「宇治上神社」の下社にあたる由緒ある古社です。 宇治川にかかる朝霧橋を渡ると東詰に宇治神社の鳥居があり、石段を上れば拝殿と本殿があります。 平安時代造営の宇治上神社本殿のように国宝指定ではありませんが、こちらの本殿も時代は古く鎌倉時代のものです。
 宇治上神社とセットで拝観するとよいでしょう。 時間がれば、ちょっと足を延ばして、さわらびの道(宇治川の東岸から末多武利神社、宇治神社と宇治上神社を経て源氏物語ミュージアムに至る石畳の散歩道)も歩くのもよいかと思います。

更新履歴

2012年6月6日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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