山科別院長福寺

東本願寺山科別院

山科にある真宗大谷派(東本願寺)別院で「山科別院長福寺」と号されている。 此の地は本願寺中興の祖 蓮如上人が創建した山科本願寺の旧地であった。 1732年に東本願寺境内にあった長福寺を移築して建立された。

東本願寺山科別院

東本願寺山科別院について

基本情報

寺号
山科別院長福寺(やましなべついんちょうふくじ)
別称
東本願寺山科別院、山科東別院、東御坊
宗派
真宗大谷派
寺格
別院
創建
1478年(文明十年)
開山
蓮如 - 本願寺8世。
開基
真如 - 東本願寺17世。
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
山階校前バス停徒歩5分、地下鉄東西線東野駅徒歩10分
住所
京都府京都市山科区竹鼻サイカシ町13-17

概要

山科にある真宗大谷派(東本願寺)別院で「山科別院長福寺」と号されている。 此の地は山科本願寺の寺内町(外寺内)であった。 山科本願寺は、本願寺中興の祖 蓮如上人が15世紀後半に創建し、本願寺9世 実如と本願寺10世 証如が城郭として整備した。 しかしながら1532年(享禄5年)、細川晴元・六角定頼・京都の法華一揆の連合軍との戦いで、山科本願寺は灰燼に帰し、石山本願寺を本寺としている。 山科別院は、1732年(享保17年)に東本願寺17世 真如の命により光敬が、山科本願寺外寺内の旧地に、東本願寺の境内にあった長福寺を移築して建立された。 本堂には蓮如75歳の自刻と伝わる蓮如上人木像が安置されている。

見所

国史跡
山科本願寺南殿跡附山科本願寺土塁跡(境外) - 山科本願寺の遺構である南殿跡と山科中央公園に見られる土塁跡。
観光名所
本堂 - 本尊阿弥陀如来木像、蓮如上人75歳の自刻と伝わる蓮如上人木像を安置。
茶室 陽秋亭 - 蓮如隠居所であった山科本願寺南殿の遺構という。
蓮如上人御廟所(境外) - 山階小学校の北側にある蓮如本廟。本願寺山科別院(西御坊)と共同で管理されている。

歴史

1478~1481年
本願寺8世 蓮如により、山科本願寺(御本寺)が創建された。
1483年
山科本願寺(内寺内と外寺内)が完成した。
1499年
蓮如が入滅した。
1499~1532年
本願寺9世 実如と本願寺10世 証如は、山科本願寺を城郭として整備した。
1532年
細川晴元・六角定頼・京都の法華一揆の連合軍との戦いで、山科本願寺は灰燼に帰し、石山本願寺を本寺とした。(山科本願寺の戦い)
1732年
東本願寺17世 真如の命により光敬が、山科本願寺外寺内の旧地に、東本願寺の境内にあった長福寺を移築して創建された。
1788年
天明の大火で、東本願寺から親鸞御真影が避難された。
1864年
禁門の変(蛤御門の変)で、東本願寺から親鸞御真影が避難された。
明治時代
「山科別院長福寺」と寺号が改められた。

撮影後記

 この一帯は山科本願寺の旧跡地で、南側には本願寺派(西本願寺)の山科別院もあります。 蓮如が造営し、次の代で整備された山科本願寺は、城郭を併せ持つ広大な寺内町を構成していました。 御影堂や阿弥陀堂という浄土真宗寺院の中核となる寺本体は、もっと西側の「御本寺」に位置し、その外縁に「内寺内」、そして現在両別院が建っている場所が「外寺内」でした。 さらに離れた場所には、「南殿跡」があり、現在は大谷派の光照寺が建っています。 現在その遺構は殆ど残っておらず、山科中央公園にある土塁跡と南殿跡が国の史跡に指定されています。

更新履歴

2015年1月28日
初版をアップロードしました。

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