京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
山科にある真宗大谷派(東本願寺)別院で「山科別院長福寺」と号されている。 此の地は山科本願寺の寺内町(外寺内)であった。 山科本願寺は、本願寺中興の祖 蓮如上人が15世紀後半に創建し、本願寺9世 実如と本願寺10世 証如が城郭として整備した。 しかしながら1532年(享禄5年)、細川晴元・六角定頼・京都の法華一揆の連合軍との戦いで、山科本願寺は灰燼に帰し、石山本願寺を本寺としている。 山科別院は、1732年(享保17年)に東本願寺17世 真如の命により光敬が、山科本願寺外寺内の旧地に、東本願寺の境内にあった長福寺を移築して建立された。 本堂には蓮如75歳の自刻と伝わる蓮如上人木像が安置されている。
この一帯は山科本願寺の旧跡地で、南側には本願寺派(西本願寺)の山科別院もあります。 蓮如が造営し、次の代で整備された山科本願寺は、城郭を併せ持つ広大な寺内町を構成していました。 御影堂や阿弥陀堂という浄土真宗寺院の中核となる寺本体は、もっと西側の「御本寺」に位置し、その外縁に「内寺内」、そして現在両別院が建っている場所が「外寺内」でした。 さらに離れた場所には、「南殿跡」があり、現在は大谷派の光照寺が建っています。 現在その遺構は殆ど残っておらず、山科中央公園にある土塁跡と南殿跡が国の史跡に指定されています。
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