霊雲院

妙心寺四派本庵

臨済宗大本山妙心寺の塔頭で、1526年、大休宗休国師が晩年に創建した。妙心寺発展の基礎となった妙心寺四派のひとつ「霊雲派」の本庵である。狩野元信の障壁画を擁する書院は当時のもので、国の名勝庭園を併せ持つ。

霊雲院

霊雲院について

基本情報

寺号
霊雲院(れいうんいん)
別称
狩野元信寺
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
妙心寺塔頭
創建
1526年(大永六年)
開山
特芳禅傑
開基
大休宗休 - 妙心寺25世。
駐車場
無料駐車場あり - 妙心寺駐車場利用。
交通機関
妙心寺前バス停徒歩4分、京福妙心寺駅徒歩4分
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町39

概要

臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院のひとつである。 特芳禅傑による「霊雲派」の本庵で、「龍泉派」「東海派」「聖澤派」ともに、妙心寺発展の基礎となった妙心寺四派のひとつである。 1526年(大永6年)、妙心寺25世 大休宗休が、師の特芳禅傑を勧請開山にして、細川家重臣であった薬師寺一族の菩提を弔うために、帰依した薬師寺備後守国長の室 霊雲院(清範尼)の援助を得て創建された。 大休宗休国師は創建開祖(第二世)となって、晩年住した。 大休宗休に帰依した後奈良天皇が度々行幸された書院の御座所「御幸の間」は当時のもので、狩野元信の障壁画を擁し、国の重要文化財に指定されている。 また庭園は国の名勝である。

見所

国名勝
霊雲院庭園 - 方丈庭園は白砂に3個の庭石と石灯籠1基を据えた簡素な平庭。書院南庭は相国寺慈雲庵の子建西堂の作庭といわれる縮小式蓬莱枯山水庭園。
国重要文化財
書院(御幸の間) - 1543年頃の建立。後奈良天皇が度々行幸された御座所は「御幸の間」と称される。狩野元信の障壁画を擁する。
紙本水墨淡彩山水花鳥図 - 狩野元信筆の書院障壁画。
紙本水墨淡彩琴棋書画図 - 狩野元信筆の書院障壁画。
後奈良天皇宸翰円満本光国師号勅書 - 1550年の後奈良天皇の宸翰。
府文化財
本堂(方丈) 附 大玄関 - 1693年の再建。1543年、大休宗休が栂尾十無尽院の阿伽井房から移築して建立した。
庫裏 附 井戸屋形 - 江戸時代中期の建立。
小書院 - 江戸時代中期の建立。
表門 - 江戸時代中期の建立。
観光名所
墓地 - 哲学者 西田幾多郎の墓がある。

歴史

1526年
妙心寺25世 大休宗休が、師の特芳禅傑を勧請開山にして創建した。
1543年
大休宗休は栂尾阿伽井房を移設して方丈とし、隣に書院を建立した。
戦国時代
後奈良天皇が大休宗休に帰依し、臨幸が相次いだ。
1693年
大休150年遠忌に伴い、現在の方丈が再建された。

撮影後記

 妙心寺中興開山 雪江宗深(特芳禅師の師匠)に「寿は特芳」と称された霊雲派の本庵です。 公開塔頭ではなく、特別公開の機会にも恵まれていないので、表門越しの景観だけ掲載しています。 なお、大休宗休禅師は幼いときに同じ臨済宗の東福寺永明庵で出家していて、東福寺の塔頭にも「霊雲院」が存在しますが、特に関連はないようです。

更新履歴

2015年2月2日
初版をアップロードしました。

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