慈受院

薄雲御所

1428年、将軍足利義持の正室 日野栄子が、夫の菩提を弔うために創建した。代々、宮家などが入寺し、尼門跡寺院としての法灯を伝える。また、「源氏物語」に登場する「薄雲御所」のモデルとしての側面を有していた。

慈受院

慈受院について

基本情報

山号院号
広徳山慈受院(こうとくざんじじゅいん)
別称
薄雲御所、竹之御所、烏丸御所
宗派
臨済宗単立
寺格
尼五山第二位 通玄寺の子院
創建
1428年(応永35年)
開基
慈受院 - 足利義持の正室 日野栄子。
本尊
釈迦如来
交通機関
堀川寺ノ内バス停下車すぐ
住所
京都府京都市上京区寺ノ内通堀河東入ル百々町504
サイト
慈受院薄雲御所だより

概要

1428年、足利四代将軍 足利義持の正室 日野栄子が夫の菩提を弔うために創建したといわれる。 寺名は、日野栄子の法名「慈受院浄賢竹庭尼大禅師」に由来する。 代々、伏見宮息女や後西院天皇の皇女をはじめ、足利将軍家、近衛家、花山家から交互に住持が入り、「薄雲御所」「竹之御所」「烏丸御所」とも称され、尼門跡寺院として栄えた。 また、近年の調査により「源氏物語」に登場する「薄雲御所」のモデルとしての側面を有していたことが明らかになった。 寺には皇室ゆかりと伝えられる調度品が数多く残っている。

見所

観光名所
本堂 - 後水尾天皇念持仏の阿弥陀如来像、後西天皇より贈られた阿弥陀如来像、三尊仏を安置。
毘沙門堂 - 日本三体随一といわれる毘沙門天像が祀られている。
外庭 - 日野栄子の法号に因み「竹」を主題に、仏教伝来の祖地である飛鳥の遺石を配した庭。

歴史

1428年
足利四代将軍 足利義持の正室 日野栄子が、夫の菩提を弔うために、高倉中御門北に創建したと伝わる。日野栄子の法号「慈受院浄賢竹庭尼大禅師」に由来し、「竹」の一字をとって「竹之御所」とも称された。
室町時代
尼五山(景愛寺、通玄寺、檀林寺、護念寺、恵林寺)第二位に列格されていた通玄寺の三子院(ほか総持院、曇華院)となった。
応仁の乱
兵火で焼失し、頂妙寺町に移転した。
1583年
伏見宮息女が、慈受院第四世として入山した。
1708年
大火で焼失し、高倉中御門北から烏丸寺ノ内に移転した。
1683年
後西院天皇の皇女 瑞光内親王が慈受院第七世として入山した。
1706年
瑞光内親王の死去後、姉の曇華院宮 大成聖安(通玄寺第24世)が慈受院を兼帯し、曇華院の管理となった。
明治6年
総持院が、曇華院に管理されていた慈受院を併合した。
大正8年
総持院が、開基の法号の「慈受院」に改称し、現在地に再興された。

撮影後記

 堀川寺之内にある人形寺こと宝鏡寺の隣にある寺院です。 こちらも格式ある尼門跡寺院なため、普段は非公開となっています。 まれに、特別公開されるときもあるようです。
 ギャラリーに掲載したのは、箱庭のような外庭。 小さくかわいらしい庭で、京都で一番小さな寺院庭園かもしれません。 京都在住ではないので、普段は自転車ではなく車で移動します。 南北に移動するときは、主に堀川通を利用するので、この場所はよく通るのですが、この庭の存在には気がつきませんでした。 自転車や徒歩じゃないと、こういったものを見落としがちなんですよね。

更新履歴

2012年2月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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