神童寺

重文仏像を多数収蔵

山城町にある真言宗智山派の古刹。役行者が当山で修行中、地主神と吉野山諸神が童子の姿を仮りて現れ、本尊を刻んだと伝わる。 また、不動明王像や、天に向け弓を引く愛染明王像など重要文化財を多数収蔵している。

神童寺

神童寺について

基本情報

山号寺号
北吉野山神童寺(きたよしのざんじんどうじ)
別称
金剛蔵院、金剛蔵王院
宗派
真言宗智山派
創建
伝 596年
開山
伝 聖徳太子
本尊
蔵王権現
駐車場
駐車場なし - 門前に1台分駐車スペースあり。
交通機関
JR棚倉駅より徒歩40分
住所
京都府木津川市山城町神童子不晴谷112

概要

山城町にある真言宗智山派の古刹。 「神童寺縁起」によれば、聖徳太子の創建で、役行者が当山で修行中、地主神と吉野山諸神が童子の姿を仮りて現れ、本尊の蔵王権現像を二人の神童の力を得て刻んだと伝えられる。 大和の吉野山に対して北吉野山と呼ばれ、二十六坊の諸堂が建ち、南山城では鷲峯山(じゅうぶさん)と並ぶ修験道の拠点として栄えた。 しかし全山焼失し、現在の本堂は室町時代に再建されたもの。 また、数多くの国の重要文化財を所蔵する古寺として知られ、三井寺の黄不動を模刻したものと伝える不動明王立像や、天に向け弓を引く珍しい姿の愛染明王坐像など多数収蔵している。

見所

国重要文化財
本堂 附棟札 - 1406年の再建。本尊の蔵王権現を安置することから蔵王堂ともいう。
木像不動明王立像 - 11世紀頃の造立。三井寺の国宝不動明王画像(黄不動)を模刻したものと伝える。
木像愛染明王坐像 - 12世紀の造立。天に向け弓を引く珍しい「天弓愛染」像。
木造毘沙門天立像 - 11世紀の造立。寄木造。
木造日光菩薩立像 - 11世紀頃の造立。一木造。月光菩薩とは違うペア。
木造月光菩薩立像 - 11世紀の造立。寄木造。日光菩薩とは違うペア。
阿弥陀如来坐像 - 12世紀の造立。定朝様、寄木造。
木像伎楽面 - (奈良国立博物館寄託)
町文化財
護摩堂
表門 - 江戸中期。1868年に興福寺一乗院から移築。
観光名所
蔵王権現像 - 本尊。役行者が自ら刻んだといわれるが、1406年頃のものと思われる。
役行者像 - 1406年頃のものと思われる。
十三重石塔 - 鎌倉時代後期建立。

歴史

596年
寺伝によれば、聖徳太子自ら千手観世音菩薩像を刻み創建したと伝わる。大観世音教寺と号したともいう。
675年
寺伝によれば、役行者が、鷲峯山で修行し、自ら蔵王権現を刻み本堂に安置し、神童教護国寺と号したという。
平安時代初期
奈良興福寺の願安が再興したという。以後、法相・真言の兼学道場となった。
1180年
以仁王の挙兵に対峙した平重盛の二男 資盛の兵火により、本山及び26坊を焼失した。
1190年
後鳥羽上皇の命令により、源頼朝により再建された。
1331年
兵火により焼失した。
1406年
奈良興福寺により本堂が再建された。
1868年
興福寺一乗院から山門が移築された。
昭和43年
収蔵庫が建立された。

撮影後記

 山伏の超人こと役行者ゆかりの南山城の古寺で、古来より山岳信仰、修験道の修行の地となっていたようです。 そのため、アクセスするには公共交通機関だと不便な場所にあり、密教系の重文仏像を多数収蔵しているので、足を伸ばすなら仏像に興味がある方向けの寺院であります 重文の仏像は高台の収蔵庫に安置され、特に愛のキューピッドのような天に向け矢を射る姿の愛染明王坐像は必見です。
 この古寺の門前を通る道は、古来の伊賀街道だそうです。 南へ蛇行する木津川沿いではなく、桜峠を越えて恭仁京があった瓶原へと抜ける峠越えのルートになります。 谷戸奥に建つ南山城の古寺、家並みが旧街道の雰囲気を今に残し、大和の薫りがする場所でした。

更新履歴

2012年2月24日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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