西院春日神社

春日祭

833年、淳和上皇が淳和院離宮(西院)に移り、春日大神を勧請し鎮守社としたのが起源。病気平癒の疱瘡石は信仰が篤い。10月の「春日祭」は、江戸時代作の東西神輿と五基の剣鉾に総勢1,000名が練り歩く大祭である。

西院春日神社

西院春日神社について

基本情報

社名
西院春日神社(さいいんかすがじんじゃ)
別称
春日神社
創建
833年(天長十年)
主祭神
春日神(建御賀豆智命・伊波比主命・天児屋根命・比売神)
旧社格
村社
例祭
10月第2日曜日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
西院駅徒歩3分、西大路四条バス停徒歩3分
住所
京都府京都市右京区西院春日町61
サイト
西院春日神社

概要

833年、淳和上皇が離宮「淳和院」に移り、勅諚により奈良春日大社より春日大神を勧請し鎮守社としたのが起源。 淳和院は、御所の西にあることから「西院(さいいん)」と称された。 毎月1・11・15日に公開されている疱瘡石は、淳和天皇皇女 崇子内親王が天然痘にかかり、当社で祈願をされると、神前の石に疱瘡が移り快癒したといわれ、病気平癒の霊石として信仰されている。 摂社の還来(もどろき)神社は旅行安全の神として信仰が篤い。 10月第2土曜日曜に行われる「春日祭」は、江戸時代作の東組神輿・西組神輿と五基の剣鉾をはじめ総勢1000名が練り歩く盛大な大祭。 還御直前に神輿が拝殿を三度回る「西院の拝殿回り」が行われる。

見所

観光名所
本社 - 拝殿の後方に四棟並んだ春日造の本殿がある。
摂社 - 本殿の隣に春日若宮社がある。能舞台の隣に還来社(もどろき)があり、旅行安全の神として信仰が篤く、わらじ奉納の慣わしがある。
末社 - 住吉社、西院宮、弁天社、稲荷社、四社。
疱瘡石 - 淳和天皇皇女 崇子内親王が天然痘にかかり、当社で祈願をされると、神前の石に疱瘡が移り快癒したといわれ、病気平癒の霊石として信仰されている。1・11・15日に公開されている。
御胞衣塚(おえなづか) - 仁孝天皇誕生の折、吉方にあたる当社を選ばれ、御胞衣(胎盤)を埋蔵された。 安産や子授けを祈る風習がある。
梛石(なぎいし) - 撫でて、旅行安全並びに病気平癒を祈る習慣がある。
梛の木(なぎのき) - 御神木の葉を身につけると「災難除け」になり、鏡の下に敷くと「夫婦和合」のお守りになるという。

祭事

毎月1・11・15日
疱瘡石特別公開
1月1日
歳旦祭
1月7日
若菜祭
4月29日
藤花祭
6月30日
夏越大祓
10月第2土日
春日祭 - 江戸時代作の東組神輿・西組神輿と五基の剣鉾が練り歩き、還御直前に神輿が拝殿を三度回る「西院の拝殿回り」や市の無形民俗文化財に指定されている「剣鉾差し」が行われる盛大な例大祭。

歴史

833年
淳和天皇が仁明天皇に譲位し、淳和上皇が離宮「淳和院」に移り、勅諚により奈良の春日大神を勧請し鎮守社とした。淳和院は、御所の西にあることから「西院(さいいん)」と称された。
840年
上皇が死去すると皇太后は出家し、西院は仏道修行の道場となった。
1800年
仁孝天皇誕生の折、吉方にあたる当社を選ばれ、御胞衣(胎盤)を埋蔵された。
平成13年
本殿内で伝説だった疱瘡石が発見された。

撮影後記

 平成13年から公開が始まった疱瘡石ですが、市内の図書館に疱瘡石が内陣の中にあるという記述がされているのに気づき、四棟ある春日造りの本殿を探したところ、見つかったということです。 また、春日祭での剣鉾は、5つの氏子町鉾仲間には鉾差しの衣装が持回りで保存され、差し手は一乗寺や鹿ケ谷の方から決まった人が来るという信頼関係で維持され、祭礼終了後には、トウヤが接待するという関係が今日まで保たれているのことです。

更新履歴

2012年8月4日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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