久我神社

上賀茂神社の境外摂社

紫竹・大宮を氏子地域とする上賀茂神社の境外摂社。加茂氏の定住に伴って祭祀され、中世には「氏神社」、近世には「大宮」と称された。境内は市の史跡に指定され、「大宮の森」と呼ばれた社叢の面影を残している。

久我神社

久我神社について

基本情報

社名
久我神社(くがじんじゃ)
別称
氏神社、大宮
創建
不詳 - 859年初見。
主祭神
賀茂建角身命
旧社格
式内社(小)
例祭
11月3日
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
下竹殿町バス停徒歩1分
住所
京都府京都市北区紫竹下竹殿町47

概要

賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外摂社で、賀茂氏の始祖である賀茂建角身命を祭神としている。 創建は不詳であるが、加茂氏の定住に伴って祭祀された社と考えられ、「三代実録」貞観元年(859年)の条が初見である。 平安時代後期から賀茂社の末社に列したと推測され、鎌倉時代以降は「氏神社」と称し、近世には「大宮」と称されていた。 境内は京都市の史跡に指定され、「大宮の森」と呼ばれた社叢の面影を残すケヤキの巨木が立っている。

見所

市史跡
本殿 - 1628年(寛永五年)の造営。檜皮葺の屋根。
拝殿 - 1628年(寛永五年)の造営。檜皮葺の屋根。
大宮の森 - 1686年の「雍州府志」で、境内は「大宮の森」と呼ばれる社叢が広がっていた。現在その面影を伝えるケヤキが立っている。

祭事

4月1日
春祭
9月1日
八朔祭
11月1日
例祭(本殿祭) - 上賀茂神社の神馬が本殿・拝殿の廻りを3周させる「牽馬の儀式」が奉納される。
11月2日
例祭(前夜祭) - 太鼓、ハンドベル、フラダンスの奉納、万灯の奉納。
11月3日
例祭(神幸祭) - 大宮・紫竹の氏子町内を三基の神輿が巡行する。

歴史

859年
「久我神」の神階が正六位上から従五位下へ昇叙された。(初見)
平安時代末
賀茂社の末社となった。
中世
「氏神社」と称した。
1628年
現在の社殿が造営された。
近世
「大宮」と称された。
明治5年
社名を「久我神社」と改めた。

撮影後記

 当初は賀茂氏の氏神社として創建されましたが、鎌倉時代には賀茂氏の氏神としての性格は薄れ、旧大宮村の民の社として信仰されるようになりました。 「久我」とは一帯の古称で、本来は伏見区久我森ノ宮町に鎮座する久何神社(久我神社)のある乙訓郡に由来するとも考えられているそうです。 ちなみに、京都の主要な南北通である大宮通は、近世まで「大宮」と称されていた当社から定められたと伝えられます。

更新履歴

2014年12月30日
初版をアップロードしました。

久我神社紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野