十念寺

近代建築の本堂

西山浄土宗に属する寺町通寺院。1431年、後亀山天皇皇子の真阿が、将軍足利義教の帰依を受け創建し、秀吉によって現在地に移転。本堂はビザンティン様式の斬新な近代建築。足利義教や名医 曲直瀬道三の墓がある。

十念寺

十念寺について

基本情報

山号寺号
華宮山十念寺(かきゅうざんじゅうねんじ)
宗派
西山浄土宗
創建
1431年(永享三年)
開山
真阿 - 後亀山天皇皇子。
開基
足利義教 - 室町幕府6代将軍。
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
河原町今出川バス停徒歩5分
住所
京都府京都市上京区鶴山町13

概要

西山浄土宗に属する上京区の寺町通寺院。 1431年(永享三年)後亀山天皇皇子である真阿が、室町幕府6代将軍 足利義教の帰依を受け、元誓願寺通小川にあった誓願寺内に住房 宝樹院を創建したのに始まる。 その後に十念寺と改められ、1591年(天正19年)豊臣秀吉の都市改造政策で現在地に移された。 平成5年の竣工の本堂は、大阪の一心寺住職で建築家 高口恭行の設計で、ビザンティン様式を取入れた斬新な集中式ドーム様式。 墓所には足利義教をはじめ、江戸幕府から世襲の侍医典薬とされた曲直瀬道三の墓などがある。

見所

国重要文化財
紙本着色仏鬼軍絵巻 - 16世紀の作。伝一休筆。「十念寺本」といわれ、室町時代の説話「仏鬼軍」四図三段の絵巻。(京都国立博物館寄託)
観光名所
本堂 - 平成5年の竣工。大阪の一心寺住職で建築家 高口恭行の設計。ビザンティン様式を取入れた斬新な集中式ドーム様式。堂内は三方のハイサイドライトから採光され、本尊の丈六阿弥陀如来坐像が浮かび上がる。
地蔵堂 - 平成5年の竣工。江戸時代に上下寺町三十六地蔵めぐり第5番札所だった十念寺地蔵が奉安されている。
初代曲直瀬道三顕彰碑 - 徳川家をはじめ諸大名家の難病を治療し、江戸幕府からは曲直瀬家を世襲の侍医典薬とされた。
墓地 - 足利義教(室町幕府将軍)、高雲院宮(後陽成天皇皇女)、曲直瀬道三(桃山時代の医師)、施薬院全宗(桃山時代の医師)、金座銀座両家(江戸時代の鋳造師)、徳大寺公城(江戸時代の公家)などの墓。

歴史

1431年
真阿が足利義教の帰依を受けて、元誓願寺通小川にあった誓願寺内に住房 宝樹院を創建した。
15世紀中期
宝樹院を十念寺と改めた。
1536年
焼失した。
1591年
豊臣秀吉の都市改造政策で、現在の寺町通に移された。
1788年
天明の大火で焼失し、その後に再建された。
平成5年
現在の本堂が建立された。

撮影後記

 寺町通でひときわ異彩を放つ寺院で、一見すると仏教寺院ではないような外観の本堂です。 和洋折衷且つイスラム様式も取り込んでいるような斬新さがあります。 寺号の「十念」とは、真阿上人が足利義教に十念(浄土宗では「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の御名を10ぺん唱えること)を授けたことが由来です。

更新履歴

2015年9月16日
初版をアップロードしました。

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