上品蓮台寺

国宝 絵因果経

紫野にある真言宗智山派の古刹。聖徳太子によって創建されたと伝わり、960年、寛空が再建し「上品蓮台寺」と改めた。桃山時代、12の支院が建ち「十二坊」と称された。国宝 絵因果経は、京都最古の絵巻物として名高い。

上品蓮台寺

上品蓮台寺について

基本情報

山号寺号
蓮華金宝山上品蓮台寺(れんげこんぽうざんじょうぼんれんだいじ)
別称
十二坊、千本十二坊
宗派
真言宗智山派
創建
伝 飛鳥時代
開山
伝 聖徳太子
中興開山
寛空(かんくう)
本尊
地蔵菩薩
駐車場
駐車場なし
交通機関
千本鞍馬口バス停徒歩5分、千本北大路バス停徒歩5分
住所
京都府京都市北区紫野十二坊町33-1

概要

紫野にある真言宗智山派の古刹。 寺伝によれば、聖徳太子が母親の菩提寺として創建した「香隆寺(こうりゅうじ)」が起源という。 960年、宇多法皇の勅願により寛空が再建し、「上品蓮台寺」と改めた。 広大な寺域に堂宇が立ち並び興隆したが、応仁の乱の兵火で荒廃した。 文禄年間(1592年~1596年)、根来寺の性盛(しょうせい)が復興し、蓮台野に12の子院を建立したことから「十二坊」と称されるようになった。 現在、宝泉院、真言院、大慈院の三院が残る。 寺宝として、国宝 絵因果経は、天平時代の作品で、京都最古の絵巻物として名高い。

見所

国宝
紙本著色絵因果経 - 天平時代の作品で、釈迦の前世と現世の物語を説く経典を絵解きしたもの。京都最古の絵巻物として名高い。(京都国立博物館寄託)
国重要文化財
絹本著色六地蔵像 -(京都国立博物館寄託)
絹本著色文殊菩薩像 -(大阪市立美術館寄託)
府文化財
絹本著色寛空僧正像 - 平安時代作。
観光名所
本堂 - 村上天皇より賜った勅額を掲げ、本尊の延命地蔵菩薩像が安置されている。
定朝の墓 - 平安時代を代表する仏師 定朝の墓。
源賴光朝臣塚 - 墓所の北の大椋の下にある。謡曲「土蜘蛛」ゆかりの塚で「蜘蛛塚」と称される。
支院 - 宝泉院、真言院、大慈院。

歴史

飛鳥時代
聖徳太子が母親の菩提寺として創建し、「香隆寺」と号したと伝わる。
960年
宇多法皇の勅願により、寛空が再建し、「上品蓮台寺」と改めた。
平安時代
広大な寺域に堂宇が立ち並び興隆した。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1592~1596年
文禄年間、根来寺の性盛が復興し、蓮台野に12の子院を建立したことから「十二坊」と称されるようになった。
現代
宝泉院、真言院、大慈院の三院が残った。

撮影後記

 紫野十二坊町と、桃山時代に十二の支院があった頃の名残が地名に残っています。 現在この辺り一帯は大字の紫野ですが、船岡山から紙屋川に至るこの辺りを、昔は蓮台野といって、東山の鳥辺野、嵯峨野の化野とともに葬地でした。 この辺りには野のつく地名(紫野、北野、平野、柏野など)が多く見られ「洛北七野」と称されたとか。 大昔は、広漠たる原野にカラスが上空を飛び回る光景が目に浮かびます。

更新履歴

2012年7月28日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを西陣・室町から移動しました。

上品蓮台寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野