京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
織田信長の帰依を受けた清玉上人が開山した浄土宗寺院。 天文年間、近江坂本に創建したのが起源で、永禄年間に織田信長の帰依を得て、信長入洛に際して、今出川大宮東に八町四方の境内と塔頭十一ケ寺を構えていた。 清玉上人は、本能寺の変で自刃した織田信長・信忠父子の遺骸を火中から密かに集め、当寺に埋葬したと伝わる。 その後、豊臣秀吉の都市改造政策による寺町造成に伴い寺域を大幅に縮小され、現在の場所に移る。 大正時代、織田信長に正一位に追贈された際、宮内庁調査により信長公墓が廟所であると確認され、勅使の訪問を受けた。 境内には、信長はじめ百余名の討死衆の合祀位牌が現存、供養されている。
阿弥陀寺というお寺は大原古知谷の阿弥陀寺をはじめ京都にいくつかありますが、ここで紹介しているのは寺町の信長ゆかりのお寺です。
信長の墓所や霊廟などは全国各地にいくつかあります。
京都では、本能寺に信長公廟が、大徳寺塔頭の総見院にもあります。
なかでも、ここ阿弥陀寺は、秀吉に遺骸の差し出しを再三に渡って求められており、信長本廟である信憑性は最も高いと思います。
遺骸を手に入れることで信長亡き後の覇権争いの主導権を握るために、天正10年の大徳寺総見院での葬儀では、遺骸の代わりに木造の織田信長像2躰造り、1躰を棺に納め、もう1躰が総見院に残る重文の木造織田信長坐像です。
秀吉の思惑を嫌った清玉上人は、主家を乗っ取ることは人の道に在らずと拒絶し、その後に天下人となった秀吉は、寺領の大半を没収し、都市改造で寺町に移転させたのでした。
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