本妙寺

赤穂義士の寺

「赤穂義士の寺」として知られている1315年開創の日蓮宗寺院で、妙覚寺18世 日典が再興した。本懐自刃後、京都の浅野藩御用商人 綿屋善右衛門が、当寺を菩提寺と定めていた貝賀弥左衛門ら義士の石碑を建立し供養した。

本妙寺

本妙寺について

基本情報

山号寺号
祥光山本妙寺(しょうこうざんほんみょうじ)
別称
赤穂義士の寺、義士の寺
宗派
日蓮宗妙覚寺派
創建
1315年(正和四年)
開山
日像
開基
日典 - 妙覚寺18世。
本尊
三宝尊
札所
京の通称寺霊場 第25番
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
東山仁王門バス停すぐ
住所
京都府京都市左京区北門前町490

概要

「赤穂義士の寺」として知られている日蓮宗寺院。 義士の討ち入り本懐自刃後、京都の赤穂浅野藩御用商人 綿屋善右衛門が、当寺を菩提寺と定めていた貝賀弥左衛門、その兄 吉田忠左衛門、その子 澤右衛門の三義士と貝賀の妻おさんの合祀石碑を建立し供養した。 寺伝によると、正和四年(1315年)、日蓮の法孫 日像が、洛北岩倉に巡行した際に代官の渡辺氏が帰依し、その邸宅を寺院として開創したが、程なく中絶。 天祥二年(1574年)、妙覚寺18世 日典が、現在地の西に位置する新烏丸丸太町付近に再興した。 享保13年(1728年)に現在地に寺基を遷し、現本堂が再建された。 貝賀弥左衛門の子孫が、昭和5年に義士の遺品を納めた義士堂を建立し、毎年12月14日の元禄義挙記念祭に一般公開している。

見所

観光名所
本堂 - 1728年(享保13年)の建立。
義士堂 - 昭和5年の建立。綿屋善右衛門の甥である貝賀友信(弥左衛門)の子孫 斉藤トラが、赤穂義士の遺品を奉納。四十七義士の木像が祀られている。
義士墓 - 義士の討ち入り本懐自刃後、赤穂浅野藩御用商人 綿屋善右衛門が、当寺を菩提寺と定めていた貝賀弥左衛門、その兄 吉田忠左衛門、その子 澤右衛門の三義士と貝賀の妻おさんの合祀石碑を建立し供養した。平成5年に改修され、元の石碑は義士堂に奉安されている。

行事

12月14日
元禄義挙記念祭 - 義士堂の遺品が特別公開される。

歴史

1315年
日蓮の法孫 日像が、洛北岩倉に巡行した際に代官の渡辺氏が帰依し、その邸宅を寺院として開創したが、程なく中絶したと伝わる。
1574年
妙覚寺18世 日典が、新烏丸丸太町付近に再興した。
1708年
宝永の大火で類焼した。
1728年
現在地に寺基を遷し、現本堂を再建した。

撮影後記

 東山二条から仁王門通にかけての二条川東エリアは、西寺町通という通りもあって、無数の寺院が集まっています。 これは宝永5年(1708年)にあった宝永の大火で、洛中から移転してきた寺院や焼け出された住民が新たな寺町を造った結果です。 この一帯は堂宇中心の寺院が多く、全ては紹介できないので、とりあえず四季の風景が見られる寺院をピックアップして紹介していくこととします。

更新履歴

2015年1月13日
初版をアップロードしました。

本妙寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野