積善院

聖護院塔頭

聖護院の東隣にある塔頭寺院で、聖護院門跡の院家として、1200年頃の開創とされる。明治13年に熊野神社南東にあった準提堂と合併している。「五大力さん」として親しまれ、秘仏五大力菩薩が2月23日に開帳される。

積善院

積善院について

基本情報

寺号
積善院(せきぜんいん / しゃくぜんいん)
別称
積善院凖提堂、五大力さん
宗派
本山修験宗
寺格
聖護院塔頭
創建
1200年頃(正治二年頃)
本尊
準提観音像
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
熊野神社前バス停徒歩3分
住所
京都府京都市左京区聖護院中町14

概要

聖護院の東隣にある塔頭寺院。 「五大力さん」として親しまれ、秘仏五大力菩薩が2月23日に開帳される。 また、重文の不動明王像、本尊準提観音像を中心に多くの諸仏が奉安されている。 聖護院門跡の院家として、鎌倉時代1200年頃の開創とされる。 慶長年間(1596~1615年)、現在地の聖護院の森の中に中興された。 明治13年に熊野神社南東にあった準提堂と合併し、「積善院凖提堂」とも呼ばれる。

見所

国重要文化財
木造不動明王立像 - 鎌倉時代の作。旧積善院の本尊とされる。
観光名所
本堂 - 大正3年に熊野神社南東にあった準提堂を移転したもの。本尊の準提観音像と、旧本尊の不動明王像(重文)が奉安されている。
元積善院本堂 - 修験道開祖の役行者像と、阿弥陀如来像などが安置されている。
地蔵堂 - 崇徳上皇の祟りを鎮めるために祀った崇徳院地蔵が安置されている。「人喰い地蔵」とも呼ばれ、「すとくいん」が「ひとくい」に転訛したとも。

行事

2月23日
五大力尊法要 - 秘仏の五大力菩薩が開帳される。

歴史

1200年頃
聖護院門跡の院家として、熊野神社北西に開創されたと伝わる。「稱ノ坊」とも号された。
応仁の乱
兵火で焼失した。
1596~1615年
慶長年間、現在地の聖護院の森の中に中興された。
明治13年
江戸時代建立の準提堂と合併した。
明治32年
人喰い地蔵が当院に遷された。
大正3年
準提堂が境内に遷された。

撮影後記

 境内には他に、釜座三条の呉服商井筒屋の伝兵衛と先斗町近江屋の遊女お俊が、聖護院の森で心中した近松門左衛門の浄瑠璃「近頃河原達引」のお俊伝兵衛恋情碑なんかも建っています。 昭和27年、豊竹山城少椽らの発起によって、聖護院の森(積善院境内)に建立されたそうです。 二人の墓は東山五条の実報寺にあります。

更新履歴

2014年12月13日
初版をアップロードしました。

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