鞍馬寺

牛若丸修行の地

770年創建とされる鞍馬弘教総本山で、鞍馬山の南東斜面に立つ山岳信仰の寺院。鞍馬は、牛若丸(源義経)が修行をした地として広く知られ、「源氏物語」の若紫巻の舞台ともなった。秋には紅葉の名所として知られる。

鞍馬寺

鞍馬寺について

撮影後記

 京都屈指の山岳寺院で、本殿がある上境内まで、ケーブルカーが運営している珍しい寺院です。 宗教法人としては日本で唯一の鉄道事業者ということらしいです。 私は、写真を撮るために、夜が明けぬうちから登ることが多いので、ケーブルカーを利用したことはありませんが。 また、貴船側にも西門があり、奥の院経由で本殿まで辿り着くこともできます。
 ギャラリーに掲載した雪化粧の写真を撮った日のこと。 冬の張りつめた早朝で、金堂からお坊さんが唱えてくる声がよく通ります。 「朝早い参拝者に御加護があらんことを」のような行が耳に入って、そんなことまで気にしてくれるのかと、ちょっぴり感動しました。 どうもありがとうございます。 ただ、鞍馬寺に参拝するのは朝早いのですが、相性がイマイチのようで、比叡の峯から太陽が昇ってくる瞬間を撮影できません。 上境内にたどり着くと、北方から雲が流れてきてしまいます。 山岳寺院の撮影は、なかなか思うようにいかないですね。

概要・歴史

山号を鞍馬山とする鞍馬弘教(こうきょう)総本山。 開基は鑑禎(がんてい)、本尊は三尊尊天(毘沙門天、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊)である。 鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として知られ、大佛次郎の著書「鞍馬天狗」でも有名。 平安時代は、京都の北方守護の寺院として信仰を集めた。 寺伝によると、770年に鑑真の高弟である鑑禎が、鞍を背負った白馬の導きでこの地に至り草庵を結び、毘沙門天を本尊として奉安したのが起源とされる。 また、「今昔物語集」「扶桑略記」によると、796年に藤原南家の藤原伊勢人(いせんど)が、桓武天皇の勅命で、毘沙門天と千手観音を安置する伽藍を建立して、北方鎮護の道場にしたとも記されている。 寛平年間(889年~897年)、東寺の峯延(ぶえん)が入寺し真言宗の寺院とした。 白河上皇や関白の藤原師通が参詣するなど、平安貴族に広く信仰を集めた。 天永年間(1110年~1113年)、天台座主の忠尋が天台宗に改宗し、青蓮院の支配下におかれた。 応仁の乱では、公家の三条西実隆が疎開した。 1812年、山全体が炎上する大火災に遭い、昭和20年には本殿などが焼失。 昭和22年、住職の信楽香雲が、鞍馬弘教を開宗。 昭和24年に、天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となった。 毎年6月20日には、竹伐り会式(たけきりえしき)が行われる。

住所: 京都府 京都市左京区鞍馬本町1074

更新履歴

2011年8月23日
初版をアップロードしました。
2012年1月23日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2015年9月24日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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更新がんばってください。

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