安楽寿院

鳥羽離宮の遺構

真言宗智山派の寺院で、鳥羽上皇が鳥羽離宮の東殿を仏寺に改めて創建されたのが起源。鳥羽上皇は、この東殿御堂を自らの陵所と定め、本御塔に埋葬された。本尊の阿弥陀如来像は、鳥羽上皇の念持仏といわれている。

安楽寿院

安楽寿院について

基本情報

寺号
安楽寿院(あんらくじゅいん)
宗派
真言宗智山派
創建
1137年(保延三年)
開基
鳥羽上皇
本尊
阿弥陀如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
竹田駅徒歩6分
住所
京都府京都市伏見区竹田中内畑町74
サイト
安楽寿院

概要

真言宗智山派の寺院で、鳥羽上皇が鳥羽離宮の東殿を仏寺に改めて創建されたのが起源。 鳥羽上皇は、この東殿御堂を自らの陵所に定め、安楽寿院で崩御されて本御塔に埋葬された。 ほどなくして新御塔が建立され近衛天皇が改葬された。 その後、豊臣秀頼により再興され、本御塔、新御塔、塔頭十二院五坊を持つ学山として興隆したが、鳥羽伏見の戦いで官軍の本営となり、伽藍の多くを失った。 明治維新後、本御塔、新御塔は宮内庁の管轄になった。 本尊阿弥陀如来像は鳥羽上皇の念持仏といわれ、胸には卍字が刻まれ、「卍の阿弥陀」と称される。

見所

国重要文化財
木造阿弥陀如来坐像 - 阿弥陀堂に奉安されている。鳥羽上皇の念持仏といわれ、胸には卍字が刻まれ、「卍の阿弥陀」と称される。
五輪塔 - 如法経塚に立つ3メートルもの石造五輪塔。鎌倉時代の弘安十年(1287年)の銘が刻まれている。
絹本著色孔雀明王像 - 平安時代の作。(京都国立博物館寄託)
絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図 - 平安時代の作。(京都国立博物館寄託)
絹本著色普賢菩薩像 - 鎌倉時代の作。(京都国立博物館寄託)
市史跡
大師堂 - 1596年の大地震で新御塔が倒壊したときに建てられ、勤行堂として使用され、現在地へ大師堂として移築された。弘法大師像の他、旧塔頭の諸仏が奉安されている。
阿弥陀堂 - 台風で倒壊した本御塔の代わりに昭和34年に建立された。本尊阿弥陀如来坐像を安置する。
書院・庫裏 - 寛政7年(1795年)の建立。もとは「前松院」という塔頭寺院であった。
鐘楼 - 慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再興されたときに建立された。梵鐘は元禄5年(1692年)の鋳造。
三宝荒社 - 豊臣秀頼によって再興されたときに火災除けに荒神様が勧請され、それ以後は一度も火災に遭っていない。
冠石 - 上皇が鳥羽離宮に入ったとき、この石の上に冠を置いて、これを中心に殿舎や仏殿を増築といわれる。鳥羽上皇が法皇になられた時に、石の下に冠を納められたといわれる。
三如来石仏 - 平安時代の作と伝えられ、江戸時代に出土した釈迦、弥陀、薬師三尊の三面。この石仏を削って水で練り、子供の顔に塗るとくさが直るという信仰があったために傷んでいる。(中央の弥陀三尊像は京都国立博物館寄託)
碁磐梅 - 「八房の梅」と称される。院政時代、官吏が囲碁をして仕事を怠慢にしたため、碁盤を取りあげて埋め、その上に梅の木を植えたといわれる。
宮内庁治定
鳥羽天皇安楽寿院陵(本御塔) - 安楽寿院の西にある鳥羽天皇陵で、法華堂が建っている。1296年に三重塔であった本御塔が焼失。1864年に現在の御陵が造営された。
近衛天皇安楽寿院南陵(新御塔) - 安楽寿院の南にある近衛天皇陵で、多宝塔が建っている。1596年の大地震で新御塔が倒壊し、1606年に豊臣秀頼によって再建された。

歴史

1086年
白河天皇が鳥羽離宮の造営に着手した。
1137年
鳥羽上皇の勅願により、鳥羽離宮の東殿に御堂が建立され、阿弥陀三尊が安置されたのが起源。
1139年
鳥羽上皇は、この東殿御堂を自らの陵所に定め、三重塔の本御塔が建立された。
1156年
鳥羽法皇が安楽寿院で崩御され、本御塔に埋葬された。
1157年
鳥羽上皇の皇后 美福門院のために新御塔が建立された。
1163年
美福門院は遺言に従い高野山に葬られたため、新御塔には近衛天皇が改葬された。
1296年
本御塔が焼失した。
南北朝時代
南北朝の動乱に巻き込まれ多くの寺領を失った。
1548年
伽藍の大部分を焼失した。
1596~1615年
慶長年間、豊臣秀頼により新御塔に付属した前松院が安楽寿院として再興された。
江戸時代
本御塔、新御塔、塔頭十二院五坊を持つ学山として興隆した。
1868年
鳥羽伏見の戦いで官軍の本営となり、伽藍の多くを失った。
明治維新
本御塔、新御塔は宮内庁の管轄になった。
昭和36年
諸堂が第2室戸台風で倒壊した。

撮影後記

 鳥羽離宮の復元庭園の入口に、現在の地図に重ねて鳥羽離宮の地図が描かれていました。 東殿、南殿、北殿、馬場殿、泉殿、田中殿など御所と苑池からなる広大なもので、現在とは異なって鴨川はもっと東側を南流して、安楽寿院は西を南流する桂川と鴨川に挟まれていました。 東殿跡の安楽寿院の他に、現在見られる鳥羽離宮跡公園は南殿跡、城南宮は馬場殿跡に鎮座しています。 安楽寿院のある東殿は、三重塔が3基、多宝塔が1基立ち、他の殿とは異なる様相を呈していたそうです。

更新履歴

2014年12月13日
初版をアップロードしました。

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