京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
真言宗智山派の寺院で、鳥羽上皇が鳥羽離宮の東殿を仏寺に改めて創建されたのが起源。 鳥羽上皇は、この東殿御堂を自らの陵所に定め、安楽寿院で崩御されて本御塔に埋葬された。 ほどなくして新御塔が建立され近衛天皇が改葬された。 その後、豊臣秀頼により再興され、本御塔、新御塔、塔頭十二院五坊を持つ学山として興隆したが、鳥羽伏見の戦いで官軍の本営となり、伽藍の多くを失った。 明治維新後、本御塔、新御塔は宮内庁の管轄になった。 本尊阿弥陀如来像は鳥羽上皇の念持仏といわれ、胸には卍字が刻まれ、「卍の阿弥陀」と称される。
鳥羽離宮の復元庭園の入口に、現在の地図に重ねて鳥羽離宮の地図が描かれていました。 東殿、南殿、北殿、馬場殿、泉殿、田中殿など御所と苑池からなる広大なもので、現在とは異なって鴨川はもっと東側を南流して、安楽寿院は西を南流する桂川と鴨川に挟まれていました。 東殿跡の安楽寿院の他に、現在見られる鳥羽離宮跡公園は南殿跡、城南宮は馬場殿跡に鎮座しています。 安楽寿院のある東殿は、三重塔が3基、多宝塔が1基立ち、他の殿とは異なる様相を呈していたそうです。
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