京都霊山護国神社

坂本龍馬の墓

維新の志士たちを奉祀すべく、明治元年に創建された日本初の官祭招魂社である。後に先の戦争で殉職した京都府民の英霊も合祀された。山腹には各藩の招魂社があり、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允などの墓がある。

京都霊山護国神社

京都霊山護国神社について

基本情報

社名
京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)
別称
護国神社、京都神社
創建
1868年(明治元年)
主祭神
護国の英霊
旧社格
官祭社
例祭
4月28日、10月14日
駐車場
駐車場なし
交通機関
東山安井バス停徒歩10分
住所
京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
サイト
京都霊山護国神社

概要

幕末・維新の志士たちを奉祀すべく、明治元年に創建された日本最初の官祭招魂社(現在の護国神社)である。 後に、先の戦争で殉職した京都府民7万1604柱の英霊も合祀された。 山腹には京都の街を見下ろすよう各藩の招魂社があり、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允などの墓がある。 とりわけ、竜馬と慎太郎の墓前には銅像が立ち、全国から献花が絶えない。 竜馬の誕生日であり命日でもある11月15日には、「龍馬祭」が行われる。 近接の「幕末維新ミュージアム霊山歴史館」では、明治維新関連の資料文献が公開展示されている。

見所

観光名所
本社 - 昭和14年の建立。拝殿奥に本殿、両側に東西控、左奥に神饌所が建つ。
坂本龍馬の墓 - 墓前に龍馬と中岡慎太郎の銅像が立つ。
中岡慎太郎の墓 - 墓前に慎太郎と坂本竜馬の銅像が立つ。
木戸孝允の墓(桂小五郎の墓) - 隣には妻松子の墓が立つ。
招魂社 - 京都、山口、高知、熊本、茨城、福岡、鳥取の各藩招魂社と、岐阜招魂場に英霊が祀られている。
昭和の杜 - 大東亜戦争に従軍した事実を後世に伝えるため、祖国の繁栄と世界平和を込めて建設された従軍記念公園。従軍記念の碑が立つ。
パール博士顕彰碑 - インドの法学者ラダ・ビノード・パールは、極東国際軍事裁判(東京裁判)判事を務め、被告人全員の無罪を主張した。
参道 -「維新の道」と呼ばれる。坂本龍馬、三条実美、桂小五郎らによる各藩の合同会議が開かれた翠紅館(すいこうかん)跡があり、遺構は京懐石料亭の「京大和」に受け継がれている。
幕末維新ミュージアム霊山歴史館 - 霊山顕彰会によって、幕末・明治維新の専門博物館として昭和45年に開館。

祭事

1月1日~3日
歳旦祭
2月11日
紀元祭
4月28日
春季例大祭
5月10日
御鎮座祭
8月13日~16日
みたま祭 - 英霊に捧げる万灯が境内に灯る。
10月14日
秋期例大祭
11月15日
龍馬祭 - 坂本龍馬の誕生日であり命日に坂本龍馬、中岡慎太郎、藤吉の墓前で行う墓前祭。旧土佐藩招魂社祭も併せて行われる。
12月23日
天長祭

歴史

1809年
村上都愷(くにやす)により、時宗正法寺境内に霊明神社を建立した。
幕末
霊明神社で、有志者よって尊皇攘夷の志士たちの御霊を鎮める神葬祭が行われた。
明治元年
明治天皇の勅願により、京都の公家をはじめ、山口、高知、熊本、茨城、福岡、鳥取の諸藩が、霊山の山頂に招魂社を建立し、「霊山官祭招魂社」と号した。
昭和11年
日中戦争をきっかけに、勤皇志士の他に殉職した京都出身府民の英霊も奉祀するために境内が拡大された。
昭和14年
昭和の大典に使用した建物が下賜され、社殿が造営され、「京都霊山護国神社」に改称された。
終戦
GHQ占領下においては「京都神社」と号した。
昭和45年
幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」が開館した。

撮影後記

 高台寺の北側の山腹にある護国神社で、志高く若くして散っていった志士たちが眠っています。 靖国神社より先に創建され、官祭の護国神社としては日本で最初のものです。 日本初の招魂社は、山口県下関市の櫻山神社(櫻山招魂場)だそうです。
 各藩の招魂社がある山腹には休憩所が設けられ、京都市街が一望でき、ことにサクラの時期とモミジの時期は最高です。 普段は17時までなのですが、年4回ほど夜間拝観も実施しているそうで、そのとき参拝すれば京都の夜景も楽しめますね。

更新履歴

2012年8月2日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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