花山稲荷神社

三条宗近

903年に創建され、花山天皇は殊に篤く崇敬し、「花山神社」と称されるようになった。刀工 三条宗近が、埴土で鞴(ふいご)を造り名刀「小狐丸」を鍛えた旧跡で、火焚串を鞴の形に組み焚き上げる火焚祭が行われる。

花山稲荷神社

花山稲荷神社について

基本情報

社名
花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ)
別称
花山神社、大石稲荷、西山稲荷
創建
903年(延喜三年)
主祭神
宇迦之御魂(ウカノミタマ)、神大市比売、大土御祖
旧社格
村社
例祭
4月第2日曜
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
花山稲荷バス停徒歩5分
住所
京都府京都市山科区西野山欠ノ上町65
サイト
花山稲荷神社

概要

903年(延喜3年)、醍醐天皇の勅命により稲荷神など三柱を勧請して創建されたと伝えられる。 花山天皇は殊に篤く崇敬し、「花山神社」と称されるようになった。 境内の稲荷塚は弥生後期の古墳といわれ、刀工 三条宗近が、神徳により埴土で鞴(ふいご)を造り、一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えた跡と言われる。 この故事に因み、毎年11月の第2日曜日に催される火焚祭は、「ふいご祭」とも呼ばれ、火焚串を独特の鞴の形に組み焚き上げる。

見所

観光名所
本殿 - 鞘宮に収められている。1701年、大石内蔵助の義兄 進藤源四郎により寄進された。
鳥居 - 本殿裏にある木製鳥居は大石内蔵助の寄進。
稲荷塚 - 弥生時代後期の古墳といわれ、三条小鍛治宗近が一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えた跡といわれ、達光宮が鎮座する。
断食石 - 大石良雄が上に座って沈思黙考したといわれる。
血判石 - 大石良雄が同志の心底を試したといわれる。
摂末社 - 達光宮、熊丸社、薬丸社、四社、水分社。
御塚 - 御嶽山御塚をはじめ80柱あまりの塚が祀られている。
神馬舎 - 神馬本体は日本国中の神札を集めて調製してあり、京都神馬元祖から寄贈された。
おゆき桜 - 西野山のおゆきという人が、御苑に落ちていた種から育てたシダレザクラ。
一本杉 - 室戸台風で生き残った唯一の大木。

祭事

1月1日
歳旦祭 - 振舞い酒。
1月15日
小正月祭 - どんど焼き。
2月上旬日曜
初午祭 - 地元伝統の菓子「竹ういろう」が振る舞われる。
4月第2日曜
例祭 - 稲荷大神を祭る。
6月第3日曜
摂社達光宮例祭 - 手先の技術や弁舌の才の栄達を祈願する。
6月30日
夏越大祓式 - 茅輪くぐり、人形祓の神事。
11月第2日曜
火焚祭(ふいご祭) - 平安時代の三条小鍛冶宗近の故事に因むもので、護摩木を独特の鞴の形に積み上げ焚き上げる。投げ入れて焼けたミカンは、風邪封じの効験があるといわれる。
12月31日
年越大祓式(除夜祭) - 「道しるべのともし火」点火。

歴史

903年
醍醐天皇の勅命により創建された。
平安時代中期
花山天皇が篤く崇敬し、「花山神社」と称されるようになった。
988年
一条天皇により社殿が再建された。
1000年頃
刀工 三条小鍛冶宗近が参籠し、名刀「小狐丸」を完成させたと伝わる。
1174年
平重盛の命で社殿を復興した。
1183年
盗賊の放火で焼失した。
1340年頃
洛中の一色六郎定員が、勧進して社殿の復興に尽くした。
江戸時代
稲荷講が設立されて、洛中から団体参詣するようになり賑わった。
1701年
現在の本殿が大石内蔵助の義兄 進藤源四郎の寄進により建立された。

撮影後記

 日本刀の天下五剣のひとつ、国宝「三日月宗近」で知られる三条宗近が、一条天皇の宝刀「小狐丸」を完成させたと伝わる山科にある由緒ある神社です。 毎年秋になると各所の神社で「おひたき」が行われますが、もともとは鍛冶師の祭りだったそうです。
 境内には桜が数多く植えられていました。 明治100年を記念して植えられたそうで、桜が咲く時期にも訪れてみたいものです。

更新履歴

2015年2月3日
初版をアップロードしました。

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