京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
東山七条にある天台宗三門跡のひとつで、近世には方広寺や蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置き、現在も三十三間堂の本坊になっている。 もとは比叡山三千坊の一つとして草創され、本坊は比叡山西塔にあり「本覚院」と称していたと伝わる。 妙法院は、本覚院の快修が、この別号で呼称されたことに始まる。 興隆の基が開かれたのは、後白河上皇の院政庁「法住寺殿」に接して里坊が開かれたといわれる頃である。 豊臣秀吉による方広寺大仏殿建立に伴い、当院は大仏開眼千僧供養の舞台として経堂が再建されている。 千僧供養を行った際の台所として建てられたといわれる庫裏は国宝。 重文の玄関と大書院には、狩野派の作といわれる障壁画で彩られ、桃山時代の豪壮な特徴をみせる。
三千院、青蓮院とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門跡寺院です。
他の二門跡と異なり、三十三間堂の観光収入があるためか観光寺院化しておらず、春や秋に特別公開がある程度です。
この妙法院、後白河法皇による法住寺殿や豊臣秀吉の大仏殿ともゆかりなことから、東山七条エリアに点在する有名寺社とは、なんらかの関わりを持っています。
かつては敷地面積4.5万平米にも及んでいたそうで、土地が接収され現在は20分の一ほど。
最近まで境内の北側に、東山武田病院が開院していました。
ここも接収された寺領の一部で、かつての池泉庭園の名残が残されています。
現在、マレーシアの不動産投資会社によってホテルになろうとしています。(再来年オープン予定)
戦後、専売公社が買い取り、病院以外に使用しないという一筆を入れ専売病院として経営してきた経緯があるそうです。
外資系ホテルになる前に、撮影しとけばよかったかな。
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