春光院

南蛮寺の鐘

1590年創建の臨済宗妙心寺の塔頭で、開基は豊臣三中老で初代松江城主の堀尾吉晴。方丈東には、イエズス会の紋章が鋳出された南蛮寺の鐘(重文)が吊るされている。戦中戦後には、哲学者の久松真一が庵を構えた。

春光院

春光院について

基本情報

寺号
春光院(しゅんこういん)
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
妙心寺塔頭
創建
1590年(天正18年)
開山
猷山景嘉(ゆうざんけいか) - 妙心寺113世。
開基
堀尾吉晴 - 豊臣三中老、初代松江城主。
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり - 妙心寺駐車場利用。
交通機関
妙心寺北門前バス停徒歩3分、京福妙心寺駅徒歩5分
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町42
サイト
春光院

概要

豊臣三中老のひとり堀尾吉晴(初代松江城主)が、小田原の戦いで死去した長男金助の菩提を弔うために1590年(天正18年)に創建した。 開祖は妙心寺113世の猷山景嘉。 金助の戒名因み「俊巌院」と号したが、堀尾家三第忠晴の代に断絶後、忠晴の息女が石川家に嫁いでいたことから、石川憲之(淀藩初代藩主)が檀越になり「春光院」と改称した。 方丈東に吊らされた銅鐘は、南蛮寺(キリスト教会堂)で用いられたもので「南蛮寺の鐘」と称される。 1577年の西暦とイエズス会の紋章(IHS)が陽刻されている。 方丈襖絵には狩野永岳筆のキリスト教のシンボルが隠された「花鳥図」などが描かれている。 大正から戦後にかけて禅思想家の久松真一が庵を構え、仏教学者の鈴木大拙と日本の近代禅文化や哲学について談義した。

見所

国重要文化財
銅鐘(南蛮寺の鐘) - 四条姥柳町にあった南蛮寺(キリスト教会堂)で用いられ、1854年に仁和寺より移された。1577年鋳造のポルトガル製で、西暦とイエズス会の紋章(IHS)が陽刻されている。
絹本著色東方朔奪桃図 - 張平山の筆。明時代の作品。
府文化財
本堂 附大玄関 - 1818年(文政元年)の建築。方丈襖絵には、狩野永岳筆のキリスト教のシンボルが隠された「花鳥図」などが描かれている。
庫裏 - 1818年(文政元年)の建築。
座敷 - 江戸末期の建築。
書院 - 1712年(正徳2年)淀城の寝堂を移築した。前庭に鈴木大拙手植えの躑躅がある。
表門 - 文政年間(1818年~1830年)の建築。
観光名所
常盤の庭 - 方丈西庭。堀尾吉晴の作庭と伝わる。
伊勢神宮の庭(さざれ石の庭) - 方丈前庭は禅寺では珍しい神道形式の庭。伊勢神宮の外宮(豊受大御神)を祀っている。
墓地 - 堀尾家の墓。

歴史

1590年
堀尾吉晴が長子金助の菩提を弔うために猷山景嘉を請じて「俊巌院」を創建した。
1633年
堀尾家3代忠晴の代に堀尾家は断絶し、石川兼勝が松江より堀尾一族の像を遷して霊屋に安置した。
1636年
忠晴の娘婿 石川憲之が檀越になり、中興して「春光院」と改称した。
大正7年~昭和37年
禅思想家の久松真一が庵を構え、仏教学者の鈴木大拙と談義した。

撮影後記

 以前、高台寺の塔頭である「春光院」(建仁寺派)をアップしましたが、こちらは妙心寺の塔頭です。 欧米限定の国際交流に力を入れているようで、英語で毎日座禅体験をしています。 門前を通ると、旅行用スーツケースを持った白人がよく出入りして、欧米人御用達の宿坊にもなっている模様です。

更新履歴

2015年9月26日
初版をアップロードしました。

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