龍源院

大徳寺最古の塔頭

1502年頃創建の臨済宗大徳寺最古の塔頭で、南派の本庵とされている。創建時建立の方丈は、日本最古の禅宗方丈建築とされ、国の重文。また、方丈の周囲には、それぞれ趣の異なる禅宗庭園が配されている。

龍源院

大徳寺龍源院について

基本情報

山号寺号
龍宝山龍源院(りゅうほうざんりょうげんいん)
別称
洛北の苔寺
宗派
臨済宗大徳寺派
寺格
大徳寺塔頭
創建
1502年(文亀二年)
開山
東渓宗牧(とうけいそうぼく)
開基
畠山義元、大友義長、大内義興
本尊
釈迦如来
駐車場
有料駐車場あり - 大徳寺駐車場利用。
交通機関
大徳寺バス停徒歩5分
住所
京都府京都市北区紫野大徳寺町82-1

概要

臨済宗大徳寺の塔頭で、大仙院を本庵とする大徳寺北派に対して、南派の本庵とされている。 1502年頃、能登の畠山義元、豊後の大友義長らが、大徳寺第8世 東渓宗牧を開山として徳禅寺の西に「霊山一枝軒」と称し創建された。 後に大徳寺山号である龍宝山の「龍」と中国臨済宗松源派の祖 松源崇岳(しょうげんすうがく)の禅を正しく継承する松源一脈の「源」から「龍源院」と改称された。 方丈は室町時代末の1502年頃の建立で、日本最古の禅宗方丈建築とされ、国の重文。 また、方丈の周囲には、それぞれ趣の異なる禅宗庭園が配されている。

見所

国重要文化財
本堂(方丈)附玄関 - 室町時代末の1502年頃の建立で、日本最古の禅宗方丈建築とされる。方丈襖絵の龍図は桃山時代から江戸時代の作といわれる。唐門の玄関も方丈と同年の建立。
表門 - 方丈と同年に建立。
木造釈迦如来坐像 - 胎内に「建長二年(1250年)行心作」の銘。京都八釈迦のひとつ。
観光名所
一枝坦(いっしだん) - 方丈南庭。開山の東渓禅師が師である実伝宗真から贈られた室号「霊山一枝之軒」から名付けられたもの。大海の白砂に楕円の苔島である亀島が浮かび、右手に鶴島や蓬莱山が組まれている。
龍吟庭(りょうぎんてい) - 方丈北庭。室町時代の相阿弥作と伝わる枯山水庭園。杉苔が大海、石組みが陸で中央が須弥山を表す。
東滴壺(とうてきこ) - 方丈東庭。昭和35年作庭の坪庭で、日本最小の石庭「四坪の宇宙」とも称される。
こ沱底(こだてい) - 書院の軒先の庭で、「阿吽の石庭」とも呼ばれる。阿吽の2つの石は聚楽第から移築された基礎石といわれる。
開祖堂 - 方丈西側に建つ昭和の建築。前庭には大宮御所にあった桃山型石灯籠が立っている。

歴史

1502年頃
能登の畠山義元、豊後の大友義長、周防の大内義興らが、大徳寺第8世 東渓宗牧を開山として徳禅寺の西に「霊山一枝軒」と称し創建。後に龍源院と改めた。
明治維新
廃仏毀釈により、岐阜高山城主であった金森長近が大徳寺境内に創建した金竜寺と、大阪住吉神社境内の慈恩寺を合併した。

撮影後記

 勅使門、三門、仏殿、法堂、方丈が南北一直線に並ぶ典型的な禅宗伽藍の大徳寺で、勅使門の南側に位置する通年公開の塔頭のひとつです。 方丈の北側には大徳寺北派の本庵とされる大仙院が位置し、南派本庵の当院は本坊を挟んで対に位置しています。 寺宝として、「天正十一年」の銘があり、日本最古といわれる種子島銃や、豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝わる四方蒔絵の碁盤が残っています。

更新履歴

2012年12月15日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを西陣・室町・紫野から移動しました。
2015年1月26日
ギャラリーに作品を1点追加しました。
2015年10月26日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

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