霊源寺

上皇の勅願寺

西賀茂にある臨済宗系の単立寺院。1636年、後水尾上皇が、岩倉家出身の仏頂国師を開山に請じ創建された。その後も霊元上皇の勅願所となるなど、朝廷の厚い帰依を受けた。幕末には岩倉具視が当寺で出家隠棲している。

霊源寺

霊源寺について

基本情報

山号寺号
清涼山霊源寺(せいりょうざんれいげんじ)
別称
霊源皇寺
宗派
臨済宗系の単立
創建
1636年(寛永13年)
開山
一絲文守(仏頂国師) - 公卿 岩倉具堯の第3子。
開基
後水尾上皇
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
西賀茂車庫前徒歩10分
住所
京都府京都市北区西賀茂北今原町41

概要

西賀茂にある臨済宗系の単立寺院。 1636年(寛永13年)、後水尾上皇が、公卿 岩倉具堯の子である一絲文守(仏頂国師)を開山に請じ創建された。 霊源庵と呼ばれていたが、1666年(寛文6年)に上皇より勅額を賜り、現在の山寺名に改められた。 1671年(寛文11年)には、御所清涼殿の用材を下賜され仏殿が建立された。 その後も霊元上皇の勅願所となるなど、朝廷の厚い帰依を受けた。 また、一絲文守が岩倉家の出身であったことから、幕末に岩倉具視が当寺で出家隠棲している。

見所

観光名所
仏殿(本堂) - 1671年、御所清涼殿の用材を下賜され建立された。本尊釈迦如来像、後水尾上皇、仏頂国師像などを安置。
玄関 - 上皇などがお通りになった玄関で、常時閉ざされている。
庫裡 - 「透静庵」と呼ばれ平成10年の建立。白い玉砂利が敷き詰められた庭には、地表にガラス張り天窓、地下に床と壁が白塗りのアート空間があり「白美の空間」「光の受容器」と称される。建築家 山口隆の現代建築で、ベネディクタス国際建築賞を受賞した。
岩倉具視の歯牙塚 - 1862年、岩倉具視は当寺で出家し、西芳寺の湘南亭に隠棲した。
庭園 - 躑躅や枝垂れ桜の名所。後水尾上皇お手植えと伝わる車返しの桜もある。
墓地 - 岩倉家歴代の墓。

歴史

1636年
後水尾上皇の勅願により、仏頂国師を開山に請じ「霊源庵」が創建された。
1666年
上皇により勅額を賜り、「霊源寺」に改められた。
1729年
霊元上皇の勅願所となった。
1862年
岩倉具視が当寺で出家した。

撮影後記

 檀家を持たない単立寺院で、住職が北海道に行ったきり帰ってこないとかで、管理人の方がお寺を任されていました。 聞けば、御年93歳とのこと。 背筋がピンとしていて、声に張りがあってハキハキと喋り、とてもそんな風には見えません。 なにより毒舌を混ぜたお話が面白く、長居してしまいました。 末永くお元気で。

更新履歴

2015年1月18日
初版をアップロードしました。

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