蓮華王院

三十三間堂

天台宗妙法院の子院で、仏堂柱間が33間あることから「三十三間堂」と通称され、1,001体もの千手観音像が並ぶことで名高い。後白河上皇の勅願で、平清盛が上皇の法住寺殿に、仏堂と千体仏を建立したのが起源である。

三十三間堂

三十三間堂について

基本情報

寺号
蓮華王院(れんげおういん)
別称
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
宗派
天台宗
寺格
妙法院境外仏堂
創建
1165年(長寛二年)
開基
後白河上皇
本尊
千手観音
札所
洛陽三十三所観音霊場 17番
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
博物館三十三間堂前バス停すぐ、京阪七条駅徒歩5分
住所
京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
サイト
蓮華王院 三十三間堂

概要

東山七条にある天台宗妙法院子院の蓮華王院で、仏堂正面の内陣柱間が33あることから「三十三間堂」と通称され、1,001体もの千手観音像が並ぶことで知られる。 後白河上皇の院政庁「法住寺殿」の一画に、平清盛が私財が投じて仏堂と千体仏を建立したのが起源である。 鎌倉時代初期の大火により焼失し、千体仏124体と二十八部衆像のみ避難でき、現在の仏堂や本尊、および876体の千手観音像は、鎌倉時代の再建である。 毎年1月に行なわれる「大的大会」は、江戸時代に仏殿西側板縁で行われていた「通し矢」に起源をもち、京都の冬の風物詩になっている。

見所

国宝
三十三間堂(本堂) - 焼失後の1266年の再建。内陣正面33間、側面3間だが、周囲に1間分の庇の間があり、外から見ると、正面35間、側面5間になる。正面の長さ120mで、木造建築では世界一の長さといわれる。江戸時代、西側板縁で通し矢が行われたため、矢傷が多数残っている。
木造千手観音坐像 - 本堂中央須弥壇に安置されている本尊。1254年、湛慶(たんけい)82歳の作。
木造二十八部衆立像 - 鎌倉時代の作。千体仏前面に随従される28躯で、玉眼が用いられている。
木造風神・雷神像 - 鎌倉時代の作。本堂雲座に安置。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」のモデルになったともいわれる。
国重要文化財
木造千手観音立像 1,001躯 - 本尊左右に10段50列、本尊背後に1躯が並ぶ。124躯は火災を逃れた平安時代創建時の作。876躯は鎌倉時代の再建時のもの、残る1躯は室町時代に追加されたもの。
南大門 - 1600年、豊臣秀吉によって再建された。
築地塀(太閤塀) - 境内南側にある豊臣秀吉造営の築地塀。
観光名所
夜泣泉 - 夜、泉が湧き出す音が、すすり泣きに似ていることから「夜泣泉」と称され、夜泣地蔵が立っている。
久勢稲荷大明神 - 境内南西に祀られている。

行事

1/15直近の日曜
楊枝のお加持 - 浄水に柳の枝を浸してその水を信者の頭上に振りかけると頭痛が治るといわれる。
1/15直近の日曜
大的大会 - 江戸時代の「通し矢」にちなむ大会で、全国から二千人の弓道家が参加する。
2月3日
節分会
2月11日
初午祭 - 古札供養、甘酒接待。
3月3日
春桃会 - 三十三間堂の名前にちなみ境内が無料開放される。
5月3日
開山忌 - 御影奉掛。
8月23日
地蔵盆法要 - 菓子供養。
11月22日
お火焚き - 古札供養、甘酒接待。
12月8日
成道会 - 三問一答。

歴史

1156年
後白河天皇がこの地に法住寺殿を造営した。
1164年
後白河上皇の勅命を受けた平清盛が、法住寺殿の一画に私財が投じて蓮華王院仏堂(三十三間堂)を建立した。
1183年
入洛した木曾義仲によって法住寺殿が襲撃され焼失。三十三間堂は類焼を免れた。
1185年
大地震により千体仏が損傷した。
1191年
上洛した源頼朝によって千体仏が修復された。
1192年
後白河法皇が崩御され、法住寺陵に葬られた。
1249年
建長の大火により焼失。千体仏124躯と二十八部衆像のみ避難できた。
1254年
湛慶が中尊木造千手観音坐像を造立。
1266年
後嵯峨上皇により、現仏殿と千体仏876躯が再建された。
1438年
足利義教により修復された。
1586年
豊臣秀吉による方広寺建立の際、方広寺の山内寺院(千手堂)として取り込まれた。
桃山時代
豊臣秀吉によって、境内南と西に築地塀(太閤塀)、大仏殿南に南大門、七条通に西大門が建立された。
1598年
豊臣秀吉没後、方広寺と蓮華王院が妙法院の管理下に置かれた。
1686年
紀州の和佐大八郎は、大矢数8133本の大記録を打ち立てた。
1174年
紀州の野呂止祥が、半堂射で11956本中11715本を通した。
明治28年
西門が、東寺の南大門として移建された。

撮影後記

 東山七条の京都国立博物館の南に位置し、修学旅行のコースに組み込まれている場合が多いので、学生さんの団体が多い寺院です。 また、ミシュランガイドの三つ星になっているので、外国人の方もよく見かけます。 圧巻の千体仏は、中国の兵馬俑のように顔立ちや衣文はひとつひとつ異なっています。 なお、仏堂内陣は撮影禁止となっているので、ギャラリーに写真は掲載しません。

更新履歴

2012年8月13日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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