圓徳院

ねね終焉の地

豊臣秀吉の正室・北政所ねねの発願で創建された高台寺の塔頭である。豊臣秀吉の没後、ねねは、秀吉との思い出深い伏見城化粧御殿とその前庭を移築し、死去するまでの19年間を過ごした終焉の地として知られる。

高台寺圓徳院

高台寺円徳院について

撮影後記

 撮影のことではなく駐車場のことですが。 圓徳院周辺を観光する場合、高台寺駐車場を利用する方も少なくはないかと思います。 その場合、高台寺とのセット拝観で2時間駐車が無料になり、圓徳院のみ拝観の場合でも1時間無料になります。 京・洛市「ねね」各店や霊山観音でも無料の対象になります。 最近まで、この制度を知らずに割高な駐車料金を見す見す払っていましたので、知らない方にお知らせしました。

概要・歴史

圓徳院(えんとくいん)は、豊臣秀吉の正室・北政所ねね(高台院)の発願で創建された高台寺の塔頭である。 開基は木下利房、開山は三江紹益。 兄の木下家定の次男である木下利房により、木下家の菩提寺として開いた。 豊臣秀吉の没後、北政所ねねは、秀吉との思い出深い伏見城化粧御殿とその前庭を移築し、死去するまでの19年間を過ごした終焉の地として知られる。 それ以来、北政所ねねを慕って、大名をはじめ、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家など多くの文化人が訪れたと伝わる。 1599年、北政所が大坂城を出て京都に移った。 1605年、北政所が伏見城化粧御殿と前庭を移築して移り住み、木下家が客殿(現在の方丈)を創建した。 1606年、豊臣秀吉の菩提を弔うため、北政所が高台寺を創建した。 1624年、北政所が、兄の木下家定の次男 木下利房に、化粧御殿を譲り「永興院」と称した。 同年、北政所が77歳で死去。 1627年、木下利房が仙洞御所守護を辞任し「圓徳院」の号を賜った。 1632年、木下利房が木下家の菩提のため、居館を高台寺の三江紹益を開基として寺院に改めて「圓徳院」と称した。

住所: 京都府 京都市東山区下河原町530

更新履歴

2011年8月30日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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