實相寺

松永貞徳の菩提寺

文和年間(1352~1355年)創建の上鳥羽にある日蓮宗寺院。貞門俳譜の祖 松永貞徳が葬られ、貞徳ゆかりの寺として知られる。妙覚寺の筆頭末寺として興隆したが、不受不施派に連座し弾圧を受け寺勢が衰退した。

實相寺

實相寺について

基本情報

山号寺号
正覚山實相寺(しょうがくざんじっそうじ)
宗派
日蓮宗
創建
1352年~1355年(文和年間)
開山
妙実
開基
妙実
本尊
十界曼陀羅
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
城ヶ前町バス停すぐ
住所
京都府京都市南区上鳥羽鍋ケ淵町10-1

概要

上鳥羽にある日蓮宗寺院。 貞門俳譜の祖 松永貞徳が当寺に葬られ、貞徳ゆかりの寺として知られる。 文和年間(1352~1355年)、妙実により創建された。 妙覚寺の筆頭末寺として隠居寺として興隆したが、桃山時代に妙覚寺日奥の不受不施派に連座し弾圧を受け、以降50年間に渡り寺勢が衰退した。 江戸時代には朝鮮通信使の休息所として使われていた。 境内には松永貞徳旧宅と伝わる芦の丸屋があったが、台風被害で倒壊してしまった。

見所

観光名所
本堂 - 1352年の祈雨祈願の際に、妙実により造られたという木造日蓮坐像は、妙実がお伺を立てると三度頷いたといわれ、「点頭宗祖日蓮尊像」と称せられる。
松永貞徳の墓 - 貞門派俳諧の祖で、貞徳の兄が住持だったことによる。

歴史

1352~1355年
文和年間、妙実により創建された。
室町時代
妙覚寺の筆頭末寺として隠居寺になった。
1596年
妙覚寺日奥の不受不施派に連座し弾圧を受け、以降50年間に渡り寺勢が衰退した。
1654年
貞門俳譜の祖 松永貞徳が当寺に葬られた。
昭和63年
松永貞徳旧宅と伝わる芦の丸屋が倒壊した。

撮影後記

 門前を千本通が通っています。 千本通は平安京の朱雀大路に相当して、北上すると鷹峯に行き着きます。 羅城門跡以南は一般に鳥羽街道といわれ、淀へと至ります。 江戸時代、朝鮮通信使は大坂から船で淀川を遡り、淀から上鳥羽に至って京へ入ります。 その道中ということで、休息所として使われていたそうです。 また、鳥羽街道には車石が二列に並べられ、牛車はこの石の上を通っていたそうで、境内にその車石が保存されています。

更新履歴

2015年1月20日
初版をアップロードしました。

實相寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野