園部城跡

日本最後の城

藩政時代には小出氏の居城で、日本最後の建築物となった城である。明治新政府側であった小出氏は、天守閣を築かない園部陣屋を幕府と戦うため櫓を築き城へと昇格させた。本丸跡の園部高校には隅櫓や櫓門が現存する。

園部城跡

園部城跡について

基本情報

名称
園部城跡(そのべじょうせき)
別称
園部公園
駐車場
無料駐車場あり - 園部総合公園駐車場利用。
交通機関
JR園部駅徒歩20分
所在地
京都府南丹市園部町小桜町

概要

藩政時代には但馬国出石城より移封された外様大名の小出氏の居城で、日本で最後の建築物となった城である。 藩政時代には天守閣を築かない園部陣屋であったが、小向山を取り囲むように外堀、内堀、中堀が廻らされ、城郭そのものであった。 園部城と昇格したのは、大政奉還の翌年のことである。 明治新政府側であった小出氏は、京都に近く交通の要所でもあった園部陣屋を、幕府と戦うため巽櫓や小麦山に天守閣に相当する三層櫓などを築いた。 しかしながら政情が落ち着いたため、明治5年に巽櫓以外の櫓や城門が取り壊された。 現在、跡地には園部公園、国際交流会館、園部町役場などが建ち並び、本丸跡の園部高校には隅櫓や櫓門などが現存する。

見所

観光名所
隅櫓 - 明治2年に新築。内部は半間の武者走りが四周に走っている。
櫓門 - 明治2年に新築。園部高校の校門となっている。
小麦山(小向山) - 山頂には慶応4年に築かれた天守に相当する三層の小麦山櫓が建っていた。現在は園部忠魂碑が立っている。
園部文化博物館 - 園部陣屋から園部城に拡張された歴史も展示している。
国際交流会館 - 小麦山櫓風の外観で、イベントホール、レストラン、プールなどが併設されている。

歴史

中世
中世園部城があったと推定されている。
1619年
外様大名の小出吉親が但馬国出石城より移封され、園部藩が誕生し初代藩主となった。
1621年
小麦山の普請が終わると、小出吉親は宍人城から園部陣屋に移った。
1653年
小麦山に鎮座していた生身天満宮が、東南500mの現在地に遷座した。
1868年
園部城の普請が始まった。
明治2年
園部陣屋から園部城に昇格した。
明治4年
廃藩置県で園部藩は廃止され園部県となり、園部県庁(後に京都府園部支庁)が置かれた。
明治5年
隅櫓や櫓門などを除き民間に払い下げられた。

撮影後記

 南丹市の市役所や園部公園がある一帯になります。 現在は本丸跡に園部高校が建ち、櫓門・巽櫓・番所など僅かに遺構が残る程度です。 小麦山山頂にも上ってみましたが、梅雨の真っただ中で舗装道路は苔生して滑り、人影は見当たりませんでした。

更新履歴

2015年9月14日
初版をアップロードしました。

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