妙覚寺

日蓮宗由緒寺院

「北竜華具足山」と号する日蓮宗の本山(由緒寺院)である。1378年、日実上人が日像上人を勧請開山として創建された。織田信長の上洛時の宿所となり、千利休の茶頭で大茶会が開かれ、墓地には狩野派一族の墓がある。

妙覚寺

妙覚寺について

基本情報

山号寺号
具足山妙覚寺(ぐそくざんみょうかくじ)
別称
北龍華(きたりゅうげ)
宗派
日蓮宗
寺格
本山(由緒寺院)
創建
1378年(永和四年)
開山
日実 - 勧請開山は日像で日実は4世となっている。
開基
小野妙覚
本尊
十界曼荼羅
札所
洛中法華21ヶ寺
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
天神公園前バス停徒歩4分
住所
京都府京都市上京区下清蔵口町135

概要

「北竜華具足山」と号する日蓮宗の本山(由緒寺院)である。 1378年(永和四年)、竜華院日実上人が日像上人を勧請開山として、信徒の豪商 小野妙覚の援助で、四条大宮の小野妙覚の邸に創建された。 その後に二条衣棚に移ったが、豊臣秀吉の都市改造政策により、現在の寺之内に移転した。 戦国時代には織田信長の上洛時の宿所となり、千利休の茶頭で大茶会が開かれている。 大門は聚楽第の裏門を寛文3年(1663年)に移築したもので、数少ない聚楽第の遺構として貴重である。 境外墓地に狩野元信、狩野永徳など狩野一族の墓がある。

見所

国重要文化財
盂蘭盆御書 - 日蓮の筆。(京都国立博物館寄託)
府文化財
本堂 - 享和年間(1801~1804年)の建立。斉藤道三自筆の遺言状がある。
祖師堂 - 天保6年(1835年)の建立。中央に日蓮、左に日朗、右に日像の等身大尊像が安置されている。
華芳塔堂 - 江戸前期の建立。
華芳宝塔 - 室町後期の建立。扉絵は狩野派により描かれたもの。日蓮が法華経を写経して石塔に納めて宗旨建立を誓願したときのものといわれる。
大門 - 聚楽第の裏門を寛文3年(1663年)に移築したもの。数少ない聚楽第の遺構として貴重。
木造日蓮坐像 - 鎌倉時代の作。胎内に法印院興作の銘がある。
観光名所
法姿園 - 苔地に楓が植栽され紅葉が美しい本堂前庭、本堂と書院の間にある方形の中庭、露地の奥庭の三庭の総称。
墓地 - 境外墓地に狩野元信、狩野永徳など狩野一族の墓がある。
塔頭 - 善明院、實成院、玉泉院。

歴史

1378年
日実が日像を勧請開山として、信徒の豪商 小野妙覚の援助で、四条大宮の小野妙覚の邸に創建された。
1466年
近隣の本覚寺を吸収し寺域を広げた。
1483年
足利義尚の命により、二条衣棚に移転した。
1536年
天文法華の乱で焼失し、堺に避難した。
1548年
法華宗帰洛の綸旨が下り、二条衣棚の旧地に再建された。
戦国時代
織田信長の上洛時の宿所となった。
1573年
千利休の茶頭で大茶会が開かれた。
1582年
本能寺の変の際、妙覚寺を宿舎としていた織田信忠が明智軍に攻められ、信忠は自刃し、妙覚寺は炎上した。
1583年
豊臣秀吉の都市改造政策により、現在の寺之内に移転させられた。
1595年
不受不施義を唱えた21世日奥は、秀吉が主催した方広寺大仏の千僧供養への出仕を拒んだ。
1788年
天明の大火により焼失した。
江戸時代後期
本堂や祖師堂が再建された。

撮影後記

 妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三カ寺は、いずれも山号が具足山と号し、「三具足(みつぐそく)」と呼ばれています。 実質的な創建開山は日実ですが、妙顕寺を創建した日像上人を勧請開山とし、日実は4世となっています。

更新履歴

2015年3月5日
初版をアップロードしました。

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