妙心寺

日本最大の禅寺

花園にある臨済宗妙心寺派大本山で、日本最大の禅刹である。12町囲に七堂伽藍と塔頭46ヶ寺の甍が連なる。花園法皇が発願し、1342年に関山慧玄が開山した。その後、戦国武将の庇護を得て興隆していくこととなった。

妙心寺

妙心寺について

基本情報

山号寺号
正法山妙心寺(しょうぼうざんみょうしんじ)
別称
妙心禅寺
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
大本山
創建
1342年(暦応五年 / 康永元年) - 開創は1337年(建武四年)。
開山
関山慧玄(かんざんえげん)
開基
花園法皇
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
JR花園駅徒歩5分、妙心寺前バス停徒歩3分、嵐電妙心寺駅徒歩3分(北門)
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町64
サイト
臨済宗大本山妙心寺

概要

花園にある臨済宗妙心寺派大本山で、境内が国の史跡に指定されている。 臨済宗寺院約6,000ヶ寺のうち、約3,400ヶ寺を末寺とする日本最大の禅寺である。 12町範囲に及ぶ大伽藍で、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線上に並ぶ七堂伽藍の周囲に塔頭46ヶ寺の甍が連なる。 また、境外塔頭として龍安寺を有している。 花園法皇が花園御所を禅寺に改めることを発願し、1342年(暦応五年 / 康永元年)宗峰妙超(大徳寺開山大燈国師)高弟である関山慧玄(無相大師)により開山された。 しかしながら、大内義弘と親交を深めため足利義満の怒りを買い中絶し、四祖日峰宗舜が管領細川持之の外護により中興した。 応仁の乱の兵火で伽藍を焼失し、細川勝元・政元親子らの援助を受け、六祖雪江宗深の尽力により再中興された。 雪江禅師は四人の弟子、景川宗隆(龍泉派)、悟渓宗頓(東海派)、特芳禅傑(霊雪派)、東陽英朝(聖沢派)を輩出し、妙心寺発展の基礎となった「四派本庵」が創建された。 ここに日本最大級の大本山の時運は定まったのである。 その後の妙心寺は戦国武将の庇護を得て、今日まで大いに興隆していくこととなったのである。

見所

国宝
梵鐘 - 西暦698年にあたる戊戌年の銘がある日本最古の梵鐘。九州筑紫で鋳造されたものであり、「妙心寺鐘」と称される。音色が雅楽の黄鐘(おうじき)調に合うと「徒然草」に言及されている。
大燈国師墨蹟2幅 - 宗峰妙超(大燈国師)が弟子の関山慧玄に与えた「関山寺号」と「印可状」2幅。
国史跡
妙心寺境内 - 境外塔頭も含めた約19.5ヘクタールの山内全域。
国名勝
妙心寺庭園 - 前庭(放生池や、中心伽藍周辺の「四派の松」の植栽)、白砂のみの大方丈庭園、枯山水式庭園の小方丈庭園。
国重要文化財
大方丈 - 1592年に建立された前方丈を1654年に改築した。阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩は、もと石清水八幡宮の奥の院に祀ってあったもの。南側3室は狩野探幽、北側3室は狩野洞雲筆の障壁画。
玄関 - 1654年建立の大方丈の玄関。
小方丈 附廊下 - 1656年に玉鳳院を移築して改築された。
仏殿 附廊下 - 1827年の再建。本尊の釈迦如来像が安置されている。廊下で北側の法堂と繋がっている。
法堂 附廊下 - 仏殿と兼用されていたため、1656年に建立された。鏡天井には狩野探幽が8年の歳月をかけて描いた「雲龍図」が八方を睨んでいる。内部のケヤキの柱は、富士山麓より海路によって運ばれてきた。
庫裏 附廊下 - 1528年建立で、1653年の改築。妙心寺の台所として、土間と大庫裡と小庫裡に分かれ、大竃や三十畳敷の食堂、貯蔵庫などが残る。
浴室 - 1587年、明智光秀叔父で塔頭太嶺院(廃寺)の密宗が、光秀の菩提を弔うために創建され、1656年に改築された。蒸し風呂形式の浴槽と洗場があり、「明智風呂」と称される。
経蔵 - 1673年、大坂の豪商 淀屋辰五郎により建立された。12人の学僧が8年の歳月をかけ写経した六千五百巻の経典が納められた八角形の回転式輪蔵が置かれている。7月下旬には経典を翻転して風を入れる。
寝堂 - 1656年の建立。住持の接客場、後に法堂の控室となった。
山門(三門) - 1599年の建立で、東福寺三門、大徳寺三門に次いで古い。丹塗の五間三戸二重門で、楼上は仏堂となっており観世音菩薩像と十六羅漢像が安置され、天井には来迎図、飛龍図などが極彩色鮮やかに描かれている。
勅使門 - 1610年に総門として建立された。平生は閉門され、妙心寺住持の晋山時に新住職はこの門より入山する。
南門(南総門) - 1610年の建立。かつては隣の勅使門が寺の総門の役割であった。
北門(北総門) - 1610年の建立。
絹本著色花園天皇御像 - 後花園天皇の賛。
絹本著色虚堂和尚像 - 元徳二年(1330年)の自賛。
絹本著色大応国師像 - 元徳二年(1330年)の自賛。
絹本著色大燈国師像 - 元徳二年(1330年)の自賛。
絹本著色十六羅漢像 16幅 - 三門楼上に安置。
花園天皇宸翰御消息
花園天皇宸翰御書状 - 貞和三年(1347年)。
花園天皇宸翰御置文 - 貞和三年(1347年)。
関山慧玄墨蹟 授宗弼証状 - 延文元年(1356年)。
後奈良天皇宸翰徽号勅書 - 弘治三年(1557年)。
後奈良天皇宸翰御置文 - 弘治三年(1557年)。
後西天皇宸翰徽号勅書 - 万治元年(1658年)。
東山天皇宸翰徽号勅書 - 宝永三年(1706年)。
桃園天皇宸翰光徳勝妙国師号勅書 - 宝暦六年(1756年)。
光格天皇宸翰徽号勅書 - 文化二年(1805年)。
孝明天皇宸翰徽号勅書 - 安政二年(1855年)。
紙本著色三酸及寒山拾得図 六曲屏風 - 海北友松筆。(京都国立博物館寄託)
紙本著色琴棋書画図 六曲屏風 - 海北友松筆。(京都国立博物館寄託)
紙本著色花卉図 六曲屏風 - 海北友松筆。(京都国立博物館寄託)
紙本著色龍虎図 六曲屏風 - (京都国立博物館寄託)
紙本墨画瀟湘八景図 六曲屏風 - (京都国立博物館寄託)
絹本著色六代祖師像 6幅 - (京都国立博物館寄託)
紙本墨画中達磨左右豊干布袋像 - (京都国立博物館寄託)
絹本墨画普賢菩薩像 - (京都国立博物館寄託)
倶利迦羅竜守刀 - 豊臣棄丸所用。(京都国立博物館寄託)
小形武具 甲2領、冑1頭、鞍1脊 - 豊臣棄丸所用。(京都国立博物館寄託)
紙本著色厳子陵及虎渓三笑図 二曲屏風 - 友松筆。(奈良国立博物館寄託)
紙本著色呂望及商山四皓図 六曲屏風 - (東京国立博物館寄託)
市文化財
紙本墨画草山水図・紙本墨画豊干寒山拾得図 1対4面 - 長谷川等伯の筆。唐人物図と山水図とを表裏に描き分けた座頭屏風。
観光名所
鐘楼 - 1696年建立の鐘楼は、昭和37年の放火により焼失。かつて国宝「黄鐘調鐘」が吊るされていた。仏殿の南西にもある。
山内塔頭 - 玉鳳院、天授院、衡梅院、龍泉庵、東海庵、聖澤院、霊雲院、退蔵院、大心院、桂春院、大法院、東林院、大雄院、玉龍院、長興院、麟祥院、春光院、隣華院、寿聖院、慈雲院、長慶院、福寿院、雑華院、光国院、大龍院、通玄院、海福院、天球院、徳雲院、養徳院、養源院、如是院、蟠桃院、雲祥院、智勝院、大通院、金牛院、天祥院。
境外塔頭 - 龍安寺、西源院、霊光院、大珠院、金台寺、多福院、仙寿院、慧照院、龍華院、春浦院。

行事

1月1日
修二会
2月7日
開山降誕会
2月15日
涅槃会
3月彼岸中日
祠堂斎
4月8日
釈尊降誕会
5月18日
方丈懺法
6月18日
山門懺法 - 山門で自らの過ちを懺悔する。
7月15日
山門施餓鬼 - 山門で有縁無縁の諸霊位に対する供養が行われる。
8月9~10日
お精霊迎え
10月5日
達磨忌
11月3~4日
曝涼展 - 大方丈で寺宝の虫干し(風通し)及び一般公開。
11月11日
花園法皇忌
12月8日
成道会
12月12日
開山会

歴史

1335年
花園上皇が法皇となり、花園御所(離宮萩原殿)を禅寺に改めることを発願した。
1337年
花園法皇の禅師である宗峰妙超(大徳寺開山の大燈国師)が、臨終際に後任として高弟の関山慧玄を推挙し、宗峰妙超が「正法山妙心寺」と命名した。
1338年
花園法皇が玉鳳院を建立し、関山禅師に参禅した。
1342年
関山慧玄により妙心寺が開山された。
1360年
関山慧玄が示寂し、開山堂微笑庵(玉鳳院)に祀られた。
1380年
二祖授翁宗弼により天授院が創建された。
1399年
大内義弘と関係が深かった6世拙堂宗朴は、足利義満の怒りを買い寺領が没収され「竜雲寺」となって中絶した。
1432年
四祖日峰宗舜が管領細川持之の外護により妙心寺を中興した。
1450年
管領細川勝元が5世義天玄承を開山に招き龍安寺を創建し妙心寺の塔頭となった。
1462年
六祖雪江宗深は妙心寺、龍安寺の住持となった。
応仁の乱
兵火で伽藍を焼失した。
1477年
雪江宗深の尽力により再中興された。
1480年
細川政元が雪江宗深塔所の衡梅院を創建した。
1481年
四派のひとつ龍泉庵が創建された。
1484年
四派のひとつ東海庵が創建された。
1509年
美濃加茂城主斎藤利国妻の利貞尼が、仁和寺領の土地を寄進して境内は3倍に拡張し、独立本山となり大徳寺と同格の寺になり絶交した。
1523年
四派のひとつ聖澤院が創建された。
1526年
四派のひとつ霊雲院が創建され、妙心寺「四派本庵」による運営体制が確立した。
戦国時代
戦国武将の庇護を受け数多くの塔頭が創建された。
1627年
紫衣事件で幕府に反抗した高僧が出羽国や陸奥国への流罪となった。
江戸時代
多数の禅傑を輩出し、臨済禅の本流となった。
明治維新
廃仏毀釈により100余りあった塔頭は統廃合で半減した。
明治5年
学寮「般若林(花園大学の前身)」が創立された。
明治19年
大教校(花園大学の前身)が開校した。

撮影後記

 大徳寺と同じく室町幕府の庇護を受けなかったので、京都五山(別格南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)に列格はされていませんが、京都は言うに及ばず全国最大の大伽藍が広がる巨刹です。 室町時代の京都には、幕府の統制下にあった五山十刹の制に属した禅寺と、それに含まれなかった在野の禅寺がありました。 官寺のような五山の寺を「禅林」、修行を第一とする禅風を挙揚した寺を「林下」と称しました。 妙心寺や大徳寺は、この「林下」の代表的禅刹です。

更新履歴

2015年10月24日
初版をアップロードしました。

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