京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
花園にある臨済宗妙心寺派大本山で、境内が国の史跡に指定されている。 臨済宗寺院約6,000ヶ寺のうち、約3,400ヶ寺を末寺とする日本最大の禅寺である。 12町範囲に及ぶ大伽藍で、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線上に並ぶ七堂伽藍の周囲に塔頭46ヶ寺の甍が連なる。 また、境外塔頭として龍安寺を有している。 花園法皇が花園御所を禅寺に改めることを発願し、1342年(暦応五年 / 康永元年)宗峰妙超(大徳寺開山大燈国師)高弟である関山慧玄(無相大師)により開山された。 しかしながら、大内義弘と親交を深めため足利義満の怒りを買い中絶し、四祖日峰宗舜が管領細川持之の外護により中興した。 応仁の乱の兵火で伽藍を焼失し、細川勝元・政元親子らの援助を受け、六祖雪江宗深の尽力により再中興された。 雪江禅師は四人の弟子、景川宗隆(龍泉派)、悟渓宗頓(東海派)、特芳禅傑(霊雪派)、東陽英朝(聖沢派)を輩出し、妙心寺発展の基礎となった「四派本庵」が創建された。 ここに日本最大級の大本山の時運は定まったのである。 その後の妙心寺は戦国武将の庇護を得て、今日まで大いに興隆していくこととなったのである。
大徳寺と同じく室町幕府の庇護を受けなかったので、京都五山(別格南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)に列格はされていませんが、京都は言うに及ばず全国最大の大伽藍が広がる巨刹です。 室町時代の京都には、幕府の統制下にあった五山十刹の制に属した禅寺と、それに含まれなかった在野の禅寺がありました。 官寺のような五山の寺を「禅林」、修行を第一とする禅風を挙揚した寺を「林下」と称しました。 妙心寺や大徳寺は、この「林下」の代表的禅刹です。
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