神蔵寺

樹齢400年の楓

丹波亀岡にある臨済宗の古刹。790年、最澄が比叡山で修業の折、西方に紫雲たなびき朝日に映える山を見つけられ、自らこの地に赴き、当院を建立したのが始まり。樹齢400年といわれるカエデの紅葉は見事である。

神蔵寺

神蔵寺について

撮影後記

 丹波亀岡の古刹で、紅葉の名所です。 ここ数年、全国の一本桜を撮影しているのですが、ここのは一本楓というのでしょうか。 見事としかいうほかありません。 秋の撮影で、一本紅葉とかあまり意識したことはなかったので、久しぶりに新鮮でした。
 京都市内の名所や西山三山やら湖東三山なども見事でしたが、ここは数ではなく一本で素晴らしい。 有名な場所は必然的に混雑しますのが難点ですが、ここは私しか境内にいなかったので、より感動しました。 他にも、山門の脇には立派な梅の大木があり、機会があれば再訪してみたいと思っています。 お寺の方も気さくな方で、よい印象でした。

概要・歴史

山号を朝日山とする臨済宗妙心寺派の寺院。 開基開山は最澄、中興の祖は高隠玄厚、本尊は薬師如来座像(東方閣)と釈迦如来座像(瑠璃殿)。 西国四十九薬師霊場第四十三番札所である。 樹齢400年のカエデの紅葉が知られる。 790年、伝教大師最澄が比叡山で修業の時、西方に紫雲たなびき朝日に映える山を見つけられた。 最澄自ら当地に赴き、当院を建立し、根本中堂の薬師如来と同木で薬師如来像を刻み、天台宗の行場とし興隆した。 1180年、源頼政が平家討伐の挙兵をしたときに、三井寺の僧兵とともに挙兵する。 源頼政が敗れたため、平家により寺領は没収され堂塔は荒廃し仏像のみ残った。 1235年、天台宗の僧都が旧観を復し、女人禁制が解かれ老若男女の篤い信仰を得た。 1575年、織田信長の命により明智光秀の兵火により全焼するが、本尊は菰で巻かれ、岩山に隠し難を逃れた。 1653年、浄土宗の願西により本堂、阿弥陀堂、鐘楼を復興。 1673年、亀山城主・松平忠昭の帰依により、臨済宗妙心寺派の高隠玄厚を招いて中興し、現在の臨済宗寺院となった。

住所: 京都府 亀岡市稗田野町佐伯岩谷ノ院ノ芝60

更新履歴

2010年12月25日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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