大心院

妙心寺の宿坊

臨済宗妙心寺の塔頭寺院。かつては僧侶や雲水の宿坊だったが、現在は一般に開放された宿坊として親しまれている。1479年、管領 細川政元が上京区大心院町に創建し、天正年間、細川幽斎により妙心寺に移転した。

妙心寺大心院

妙心寺大心院について

基本情報

山号寺号
正法山大心院(しょうぼうざんだいしんいん)
別称
阿吽洞
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
妙心寺塔頭
創建
1479年(文明十一年) - 1492年とする場合もあり。
開山
景川宗隆
開基
細川政元
本尊
観世音菩薩
駐車場
無料駐車場あり - 妙心寺駐車場利用。
交通機関
京福妙心寺駅徒歩5分、市バス妙心寺北門前徒歩5分
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町57

概要

臨済宗妙心寺の塔頭寺院。 かつては末寺の僧侶や行脚する雲水の宿坊だったが、現在は一般に開放された宿坊として広く親しまれている。 1479年、足利幕府管領 細川政元が、景堂玄訥に帰依し、景川宗隆を招き上京区大心院町に創建したのがはじまり。 天正年間、細川幽斎により妙心寺に移転し塔頭となった。 方丈は江戸寛永年間に蒲生氏郷の孫 忠知が建立したもの。 方丈東庭の「阿吽庭」は、州浜型を描く白砂と苔と岩を配す枯山水庭園である。 また、坪庭には江戸時代初めに植樹された霧島躑躅の古木が見事である。

見所

国重要文化財
絹本著色羅漢像 - 鎌倉時代。(大阪市立美術館寄託)
観光名所
本堂 - 方丈は江戸寛永年間に蒲生氏郷の孫 忠知が建立。
表門 - 龍泉庵から本堂と同時期に移された。
祖堂 - 1666年の建立。その後に本山妙心寺に売却、2003年に返却された。
書院 - 明治5年の建立。旦過寮(宿坊)として利用されている。妙心寺塔頭で唯一宿坊の原型を留め、現在は僧侶雲水に限らず一般の宿泊も可能。
阿吽庭(あうんてい) - 方丈東庭の枯山水庭園。中根金作の作庭。州浜型を描く白砂に築山を築き苔と岩を配す。
切石の庭 - 方丈南庭。白砂に長石が一直線に敷かれる。
坪庭 - 1634年植樹のキリシマツツジの古木がある。

歴史

1479年
足利幕府管領 細川政元が、景堂玄訥に帰依し、景川宗隆を招き上京区大心院町(妙顕寺の北)に創建した。
戦国時代
荒廃した。
1573~1593年
天正年間、細川幽斎(藤考)により、妙心寺に移転し塔頭となった。
桃山時代
子の細川三斎(忠興)も外護に努めた。
1624~1643年
寛永年間、本堂が蒲生忠知によって建立された。
近代
微衰した。

撮影後記

 妙心寺には塔頭が数えきれない程に山内に建っていますが、通年公開している塔頭はわずか3つばかりになります。 この大心院はその公開塔頭のひとつです。 一般の方も泊まれる宿坊にもなっているので、なんとなくアットホーム的な雰囲気のするお寺です。
 今までなんとなく、妙心寺本坊と開山堂や玉鳳院といった最も大切な堂宇に挟まれた心央部に建っているので大心院かと思っていました。 歴史を調べてみたら、室町時代に上京の妙顕寺の北辺りに創建したようで(他の説もあるそうです。)、いまでも大心院町という町名が残っていました。

更新履歴

2012年7月4日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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