下御霊神社

京都御所の産土神

中京区にある御霊社で、京都御所の産土神として崇敬されてきた。当初は上御霊神社の南にあったことから「下御霊神社」と称されるようになった。神泉苑御霊会に祀られた六所御霊に二座を加えた八所御霊を祀っている。

下御霊神社

下御霊神社について

基本情報

社名
下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)
創建
839年(承和六年)
主祭神
伊豫親王、藤原大夫人(藤原吉子)、崇道天皇(早良親王)、藤原大夫(藤原広嗣)、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文屋宮田麻呂)、吉備聖霊(吉備真備)、火雷天神(菅原道真)
旧社格
府社
例祭
8月18日
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪丸太町駅徒歩5分、河原町丸太町バス停徒歩2分
住所
京都府京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町
サイト
下御霊神社

概要

中京区にある御霊社。 社伝によれば、無実を訴え自殺した伊予親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子の怨霊を鎮めるために、839年に出雲路に創建されたといわれる。 後に神泉苑御霊会に祀られた六所御霊(伊予親王・藤原吉子・早良親王・藤原仲成・橘逸勢・文屋宮田麿)に二座(吉備真備・菅原道真)を加えた八座を祀り八所御霊としている。 当初、上御霊神社の南にあったことから「下御霊神社」と称されるようになり、その後社地を転々とし、豊臣秀吉の都市改造政策により、現在地に遷座した。 京都御所の産土神として崇敬され、江戸時代には霊元天皇が行幸し、宸筆の祈願文を納めている。 本殿は、仮皇居の内侍所を移建したもので、本殿、幣殿、拝所、南北廊が屋根を交錯させて一連の内部空間をつくる社殿構成は市内御霊社に特有のものである。 5月第3日曜日には下御霊祭が行われ、境内と門前に露店が150軒ほど並び賑わう。

見所

国重要文化財
紙本墨書霊元天皇宸翰御祈願文 - 江戸時代、霊元天皇が行幸され、幕府政冶による京都朝廷への介入に不満を持ち「朝廷復古之儀」に対する執念が表されている宸筆の祈願文。(京都国立博物館寄託)
市文化財
本殿・弊殿・拝所・南北廊 - 仮御所の聖護院宮に造営された内侍所仮殿を1791年に移建したもの。本殿、幣殿、拝所、南北廊が屋根を交錯させて一連の内部空間をつくる社殿構成は市内御霊社に特有のもの。
拝殿 - 1798年の建立。
観光名所
表門 - 仮御所の建礼門を移建した。
手水舎 - 梨木神社の京の三名水の一つの「染井の水」と同じ水脈。
末社 - 神明社、八幡社、春日社、猿田彦社(相殿の垂加社には、江戸時代の国学者で垂加神道を唱えた山崎闇斎を祀る。)、稲荷社、天満宮社、宗像社、五社相殿社。

祭事

2月3日
節分祭 - 厄除甘酒接待。
2月11日
氏子餅つき祭 - 寒餅奉納、ぜんざい接待。
5月1日
神幸祭(お出祭)
5月第3日曜日
還幸祭(下御霊祭) - 神幸列巡行、神輿巡行。境内と門前に露店が150軒ほど並び賑わう。
8月17日
前夕の儀 - 宮中御神楽奉奏。
8月18日
例祭 - 東遊(あずまあそび)奉奏。

歴史

807年
平城天皇が、弟の神野親王(のちの嵯峨天皇)を皇太子としたことで、伊予親王(桓武天皇の皇子)が謀反しようとするが発覚し、伊予親王とその母である藤原吉子が捕らえられ幽閉された。
809年
伊予親王と藤原吉子は、無実を訴えて絶食した後、薬を飲んで自殺。
839年
仁明天皇により、出雲氏一族の居住地にあった愛宕郡出雲郷(寺町今出川の北辺り)の下出雲寺の鎮守社に、大和国宇智郡の霊安寺御霊社に祀られていた伊予親王と藤原吉子の怨霊を鎮めるために祀られたのが起源と伝わる。
863年
清和天皇により、神泉苑で御霊会が催され、六所御霊(伊予親王・藤原吉子・早良親王・藤原仲成・橘逸勢・文屋宮田麿)が下出雲寺に祀られたとされる。
平安時代
御霊社(上御霊神社)の南にあったことから「下御霊神社」と称されるようになった。
室町時代
下出雲寺の移転により、新町出水の西(現在の京都府庁あたり)へ遷座した。
1590年
豊臣秀吉の都市改造政策により、現在地に遷座した。
1728年
京都御所の産土神として崇敬され、霊元法皇が行幸され、宸筆の祈願文を納めた。
1732年
霊元天皇の遺勅により、相殿に奉祀された。
1788年
天明の大火で焼失。
1791年
仮御所の内侍所仮殿を移建し復興した。

撮影後記

 京都御所の東南隅近くに鎮座する御霊社です。 昔は、疫病などの蔓延は怨霊たち(政治的な陰謀によって、非業の最期を憤死しで遂げた歴史上の有名人)の仕業と考えられていたので、それを鎮める役割を担うのが御霊社です。 当初は「伊予親王の変」で憤死した二柱を祀るなど、洛外でそれぞれの御霊を祀っていましたが、怨霊たちの数が増えるにつれて、それじゃあ、まとめて一箇所で祀ることで御神徳が高まると考えられ、八所御霊として鎮座されたようです。
 仏教も多神教的な性格も持っていますが、寺は基本的にお釈迦様を崇拝していることから、そのフィギュアである本尊が大方ひとつです。 一方、多神教の神道は、主祭神が数多く合祀されている神社も多いものです。 摂末社も含めると、そんなに配祀して欲張りすぎで、主祭神の御神徳が薄まる気もしないでもないのですが。 これが寺と神社の違いのひとつかもしれません。

更新履歴

2013年2月1日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛中から移動しました。

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