京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
名勝嵐山は桜や紅葉の名所で、桂川にかかる渡月橋は、その象徴になっている。 古来、太秦を根拠としていた豪族の秦氏によって開発が進められたとされている。 平安遷都後、嵯峨野は禁野とされ、貴族・文人などによる山荘や寺院建立が相次ぐ事になる。 藤原定家がこの地に小倉山荘を造営し、小倉百人一首を撰んだと伝えられ、厭離庵はその跡とされている。 また、化野は東山の鳥辺野と並ぶ風葬の地であった。 鎌倉時代中期、後嵯峨上皇が亀山殿と呼ばれる離宮を造営し、出家して大覚寺を新たな御所とする。 大覚寺は後嵯峨上皇崩御後には引き続いて亀山法皇の御所となり、その子孫は大覚寺統と称された。 南北朝時代に敵対していた南朝(大覚寺統)の後醍醐天皇の崩御の知らせを聞いた尊氏が嵯峨野に天龍寺を造営したのも、ここが大覚寺統ゆかりの地であった事による。 こうした風景が大きく変わるのは、江戸時代、角倉了以が保津川を改修して大堰川を開いて以後のことである。 嵯峨は丹波と京都をつなぐ水運の要地となり、木材などを扱う問屋などが並ぶようになった。 近年、タレントショップが下火になり、小規模な博物館の開館が相次いでいる。また、2004年には嵐山温泉ができた。
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