山崎聖天

観音寺

天王山の山腹に建つ真言宗の単立寺院。寺号は観音寺だが、「山崎聖天」「山崎の聖天さん」と呼ばれ、現世利益の歓喜天を合祀し篤く信仰されている。寺伝では、899年に宇多天皇が護願寺として創建したと伝わる。

山崎聖天

山崎聖天について

撮影後記

 サントリー山崎で知られる名水の大山崎にあるお寺で、近くには山崎蒸溜所やアサヒビール大山崎山荘美術館などもあります。 本堂や庫裡がある上境内までたどりつくには、二百段以上の石段を登らなくてはいけません。 境内には、四季折々の花木があり、静かで落ち着いています。
 通称からも、本尊の千手観世音菩薩本尊よりも合祀された歓喜天(聖天)の信仰で知られ、江戸時代、大阪の勝尾寺より歓喜天を勧請し鎮守として祀ったので豪商の信仰を集めました。 境内に建つ銅製の大燈籠は、江戸時代に大阪の豪商、住友家から寄進されたものだそうです。

概要・歴史

山号を妙音山とする真言宗単立寺院。 寺号は観音寺だが、「山崎聖天」、「山崎の聖天さん」と通称される。 開基は寛平法皇、本尊は十一面千手観世音菩薩。 寺伝では899年に寛平法皇(宇多天皇)が護願寺として創建したと伝わる。 その後、微衰。 江戸時代初期に箕面の勝尾寺(かつおうじ)の木食以空(もくじきいくう)が豪商の援助を得て中興した。 中興の祖とされる上人は、一日一回、水と両手一杯の蕎麦を生で食べるだけという厳しい木食行を精進修行した。 1682年、勝尾寺から、大聖歓喜双身天(聖天)を勧請し鎮守として祀った。 商売繁盛の御利益があるとして、商人から信仰されるようになった。 幕末、禁門の変の兵火に遭い、会津藩などの攻撃により避難させた本尊と歓喜天像以外を残して焼失。 明治時代、島本町の西観音寺の本堂、聖天堂、鐘楼などを移築して再建された。

住所: 京都府 乙訓郡大山崎町大山崎白味才62

更新履歴

2011年8月15日
初版をアップロードしました。
2012年1月21日
ギャラリーに作品を6点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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