圓光寺

十牛之庭

一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺で、1601年に徳川家康が足利学校学頭であった閑室元佶を招いて、当初は伏見に創建された。家康寄進の木活字を用い、学問所として書物の出版が行われた。十牛の庭は紅葉の美観を呈す。

圓光寺

圓光寺について

基本情報

山号寺号
瑞巌山圓光寺(ずいがんざんえんこうじ)
宗派
臨済宗南禅寺派
創建
1601年(慶長六年)
開山
閑室元桔
開基
徳川家康
本尊
千手観音
駐車場
無料駐車場あり - 11月は使用不可。
交通機関
一乗寺下り松町バス停徒歩7分
住所
京都府京都市左京区一乗寺小谷町13
サイト
圓光寺

概要

臨済宗南禅寺派の寺で、南禅寺派研修道場として坐禅会などが実施されている。 1601年(慶長6年)に徳川家康が下野の足利学校を伏見指月に移し、庠主(学頭)であった閑室元佶(三要元佶)を招き開創された。 間もなく相国寺山内に移ったが、1667年(寛文7年)に幕命により現在の洛北一乗寺に定められた。 創建当初は学問所の役割も果たし、家康から与えられた木活字を用いて書物の出版が行われ、「伏見版」といわれた。 「十牛之庭」は新緑・紅葉の美観を呈し、借景として応挙竹林、水琴窟などがある。

見所

国重要文化財
紙本墨画竹図 六曲屏風一双 - 円山応挙の筆。十牛の庭にある竹林を題材に描いたという。
絹本著着色元佶和尚像
伏見版木活字 52,320個 - 附 摺刷盤2面 - 家康から与えられた木活字を用いて「孔子家語」「貞観政要「三略」などの書物の出版が行われ、「伏見版」「圓光寺版」といわれた。(京都国立博物館寄託)
観光名所
本堂(方丈) - 運慶作という本尊千手観世音菩薩坐像を安置。方丈の襖絵「観楓山水図・脩竹清風図」は富岡鉄斎の筆。
書院 - 書院から眺める十牛の庭の額縁庭園は、春は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色が見事。
座禅堂 - 中興の南嶺尼が尼僧専門道場とした禅堂。
東照宮 - 境内山上に鎮座し徳川家康を祀る。洛北を一望できる。
瑞雲閣 - 寺宝を収蔵している。
十牛の庭 - 「十牛図」を題材にして近世初期に作庭された池泉回遊式庭園。借景として応挙竹林、洛北最古の泉水 栖龍池、水琴窟などがある。
奔龍庭 - 白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組で表している。近年作庭された。
墓地 - 「花の生涯」のヒロイン 村山たか、広島で被爆したマレーシア人のイスラム墓地がある。

歴史

1601年
徳川家康が足利学校学頭 閑室元佶を招いて、伏見城下に学問所を建立し「圓光寺」と称した。
1693年
学問所が相国寺の山内に移された。
1620年
焼失した。
1623年
細川忠利により再建されたが、相国寺との間で寺域をめぐる対立が起こった。
1667年
現在の地に移転した。
1684年
南禅寺の末寺となった。
明治時代
廃仏毀釈で無住となり荒廃した。
明治39年
南嶺尼により再興され、南禅寺唯一の尼衆専門道場となった。

撮影後記

 紅葉の額縁庭園が素晴らしい詩仙堂の近くにある禅寺です。 嘗て日本で唯一の尼僧専門道場でしたが、現在は一般居士を対象とした座禅会が早朝に開かれています。 近年は知名度もあがり、シーズン中は混雑するのが難点といえば難点。 そこで、お寺の御好意で、早朝の紅葉特別拝観がされています。 落ち着いて撮影したい方はどうぞ。 ちなみに以前は、紅葉の時期にライトアップもされていましたが、ここ数年間は行われていないようです。

更新履歴

2015年2月2日
初版をアップロードしました。

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