瑞光寺

元政庵

深草にある日蓮宗寺院。 1655年、元政がこの地に草庵を結んだのが起源。元政は江戸時代の著名な漢詩人として知られ、当寺は「元政庵」とも称される。境内には総茅葺屋根の本堂や、竹を好んだ上人の三本竹の墓がある。

瑞光寺

瑞光寺について

基本情報

山号寺号
深草山瑞光寺(じんそうざんずいこうじ)
別称
元政庵(げんせいあん)、竹葉庵、縁切り寺
宗派
日蓮宗
創建
1655年(明暦元年)
開山
元政(日政)
本尊
釈迦如来
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪深草駅徒歩7分
住所
京都府京都市伏見区深草坊町4
サイト
瑞光寺 瑞光寺(日蓮宗)

概要

深草にある日蓮宗寺院。 この地は、藤原氏の氏寺であった極楽寺薬師堂の旧跡で、応仁の乱により荒廃していたが、1655年、元政(日政)がこの地に草庵を結び、章安大師の故事にちなんで「称心庵」と名付けたのがはじまり。 その後、仏殿に釈迦如来像を安置し、日蓮宗の法華道場とし「瑞光寺」と号した。 元政は江戸時代の著名な漢詩人として知られ、当寺は「元政庵」とも称される。 上人の墓は線路の向こう側にあり、竹を好んでいたことから竹三竿を植えて墓標に代えたといい「三本竹の墓」と呼ばれる。 1661年の建立の寂音堂(じゃくおんどう)と称せられる総萱葺屋根の本堂には、胎内に五臓六腑を添えた釈迦如来座像が安置されている。

見所

国重要文化財
南蛮人蒔絵交椅 - 安土桃山時代の南蛮工芸の折り畳み椅子。(東京国立博物館寄託)
大般若経 巻第二四六 - (奈良国立博物館寄託)
観光名所
本堂 - 1661年の建立。寂音堂(じゃくおんどう)と称せられる総萱葺屋根の本堂。堂内には胎内に五臓六腑を添えた釈迦如来座像が安置される。
元政上人の御廟 - 線路の向こう側にある。上人が竹を好んでいたことから竹三竿を植えて墓標に代えたといい「三本竹の墓」と呼ばれる。
三十番神社 - 全国の総氏神を一堂に祀った三十一柱の国土神を祀る。もとは、旧極楽寺薬師堂に番神山として現存していたもの。
縁切寺 - 3週間×7日=21日間お参りすれば悪縁悪習を断ち切ることができるとされる社。

歴史

平安時代前期
藤原基経が、この地に極楽寺の薬師堂を建立して氏寺とした。
応仁の乱
兵火で荒廃し廃絶した。
1655年
元政がこの地に草庵を結び、章安大師の故事にちなんで「称心庵」と名付けた。
1661年
仏殿(本堂)に釈迦如来像を安置し、日蓮宗の法華道場とし「瑞光寺」と号した。
1667年
元政は父母を引き取って孝養に努め、母親の死の直後に46才で没した。
1895年
奈良鉄道(JR奈良線)の開通に伴い境内が分断された。

撮影後記

 深草の宝塔寺の南にある茅葺屋根の本殿が印象的な小さなお寺です。 JR奈良線に境内を分断されているのも特徴です。 開山の元政上人は、文才ありでイケメンでもあったので女性にも人気があったとか。 江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧で、京都深草に住したところから、「艸(草)山和尚」と親しみを込めていわれていたそうです。 幽趣を愛で竹を好んだ上人、茅葺の山門や本堂からもそんな上人の為人を垣間見るようです。 辞世の句「鷲の山 常にすむてふ 峰の月 かりにあらはれ かりにかくれて」

更新履歴

2012年2月25日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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