毘沙門堂

天台宗五箇室門跡

天台宗五箇室門跡のひとつで、開基は行基、本尊は毘沙門天。寺伝によれば、703年に御所の北方に創建された出雲寺が起源で、江戸時代に山科へ移転した。境内には桜と楓が多く、観桜会が催され紅葉の名所でもある。

毘沙門堂

毘沙門堂について

撮影後記

 山科にある毘沙門堂は、紅葉の見事さの割には人が少ないのがいいですね。 宸殿以外は、門跡寺院らしき大らかさで自由参拝できます。 朝に行くと、地元の方が朝の散歩とお参りにやってくる程度です。 ただし、これを執筆している2011年はJR東海の秋のCMで放映される予定なので、今年は例外かもしれません。 山科でも山裾せまる場所にありますが、見頃は意外に遅く師走になってからが本番となります。
 また、「毘沙門しだれ」をはじめ桜の季節も見事で、しだれ桜は例年4月8日前後に満開になるそうです。 その前後の日曜には桜観会が催されます。

概要・歴史

山号寺号を護法山出雲寺とする天台宗五箇室門跡の一つ。 開基開山は行基、本尊は毘沙門天。 寺伝によれば、703年、文武天皇の勅願で御所の北方に行基によって創建された出雲寺が起源。 その後、平安時代末期「今昔物語集」によると荒廃していたとされる。 鎌倉時代初期、平親範が、平家ゆかりの平等寺・尊重寺・護法寺を合併させて再興。 天正年間、織田信長の兵火で全焼。 1611年、後陽成天皇の勅命によって、中興の祖・天海によって復興。 幕府は、山科の安祥寺の寺領の一部を与え、1665年、天海の弟子・公海が、寺伝の毘沙門天像を本尊として復旧し「毘沙門堂」と称されるようになった。 後西天皇の皇子である公弁法親王が住持して以来、門跡寺院となった。 本尊の毘沙門天は、最澄自ら延暦寺根本中堂の本尊・薬師如来の余材をもって刻まれたと伝えられる。 毎年12月14日は「山科義士まつり」が催され、赤穂浪士の討入り当時を再現する義士行列が行われる。 桜、紅葉の名所として知られている。

住所: 京都市山科区 安朱稲荷山町18

更新履歴

2011年2月26日
初版をアップロードしました。
2011年5月30日
ギャラリーに作品を5点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛東から移動しました。

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