愛宕念仏寺

千二百羅漢の寺

初め旧愛宕郡、東山の六波羅蜜寺付近にあったが、大正時代に愛宕山麓に移築した。昭和半ばまで京都一の荒寺だったが、仏師・西村公朝の尽力で、素人の参拝者が彫って奉納した「千二百羅漢の寺」として復興した。

愛宕念仏寺

愛宕念仏寺について

撮影後記

 同じ嵯峨野にある化野念仏寺に比べると知名度はありませんが、大好きなお寺さんです。 なお、愛宕は「あたご」ではなく「おたぎ」と読みます。
 ギャラリーに掲載した羅漢像を見てください。 素人の参拝者が自ら彫って奉納したとは思えない程、表情豊かです。 最近お寺でよく見かけるようになった、アニメ顔のお地蔵さんとは少し異なり、なんだか人間臭さを感じます。 数が多いので、全部見たわけではありませんが、満面の笑みで笑っている顔など見ると元気がでてきます。 ある意味、国宝級の仏像よりもパワーをくれます。 私にとって、京都一のパワースポットかもしれません。

概要・歴史

山号を等覚山とする天台宗寺院。 開基は称徳天皇、中興の祖は千観内供、本尊は厄除千手観音である。 別名、千二百羅漢の寺。 愛宕山参道の麓にあり、嵯峨野めぐりの始発点とされている。 飛鳥時代後期、聖徳太子の発願で、称徳天皇の開基により、旧愛宕郡(おたぎぐん)に「愛宕寺」が創建されたのが由来。 これは、東山区の六波羅蜜寺の近くに存在し、当時は真言宗東寺派の末寺であった。 平安時代初期、鴨川の洪水で堂宇が流失し、廃寺になりかかっていたが、醍醐天皇の勅願で、天台宗の高僧・千観内供(せんかんないぐ)により再興され、延暦寺の末寺となった。 千観内供は、四六時中念仏を唱えていたため「念仏上人」と云われ、「愛宕念仏寺」と称されるようになった。 大正11年、堂宇の保存と愛宕山との信仰的な関係から現在の嵯峨鳥居本に移築。 その後、荒廃。 昭和30年、仏像彫刻家の西村公朝が比叡山から住職を拝命され、清水寺の協力を得て復興をはじめた。 昭和56年、一般参拝者が自ら彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」が始められた。 平成3年、千二百羅漢落慶法要を厳修。 春のシャガと秋の紅葉が美しい。

住所: 京都府 京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5

更新履歴

2011年6月27日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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