東本願寺

真宗大谷派本山

浄土真宗「真宗大谷派」の本山で、正式名称は真宗本廟。宗門は親鸞によって開かれたが、徳川家康が本願寺分立を企図したため、本願寺(現西本願寺)の東に寺領を与えられ「東本願寺」と称されるようになった。

東本願寺

東本願寺について

撮影後記

 本願寺がいくつもあって違いがイマイチわからないのですが、わかりやすく云えば、オリジナルの本願寺が西本願寺で、そこから対等に分かれたのが東本願寺(大谷派)ということです。 東京の浅草にある東本願寺は、大谷派からさらに分派した宗派です。 そして大谷派の門徒が主に北陸地方や東海地方に多いのは、東西分派にいたる歴史的経緯によります。
 はじめて行かれる方は、境内にモダンな建造物が建っていて、近代的な寺院かなと思われるかもしれません。 実は、あれは工事用の覆いで、内部に修復中の御堂があります。 2年前には、なんとあの巨大な覆いが2時間余りで御影堂から隣の阿弥陀堂へ移動しました。(素屋根スライドと云うそうです。) 覆いをスライドして再利用することによって、8億円もの経費削減ができるのだそうです。 今春には素屋根内部の見学もできました。 親鸞もビックリのスケールですね。

概要・歴史

浄土真宗「真宗大谷派」の本山で、正式名称は真宗本廟。 創建は教如(きょうにょ)、本尊は阿弥陀如来である。 浄土真宗五門跡の一つ。 宗門は親鸞によって開かれたが、以下、以下、本願寺分立からの歴史を記載する。(東西分立までの本願寺の歴史は西本願寺に記載。) 関ヶ原の戦い後、実権を掌握した徳川家康は、かつて三河一向一揆で窮地に陥れられた経緯がある本願寺の分立を企図する。 1602年、家康は本願寺第12代教如に本願寺の東に寺領を与え、全国の末寺と門徒を二分させ、新たに寺院を建立させた。 本願寺(西本願寺)の東に建つため、「東本願寺」と称されるようになる。 1603年、阿弥陀堂が建立された。 1604年、御影堂が建立され、親鸞聖人の御影が納められた。 徳川家光も寺領を寄進し伽藍の造営を助けたが、天明の大火以来4度もの火災に遭い、現存の建造物の多くは明治28年の再建である。 戦後、「同朋会運動」を推進する改革派と、法主を継承する大谷家とそれを擁護する保守派との宗門内の対立から、同宗派からさらに3派(浄土真宗東本願寺派など)が分裂する通称「お東騒動」が起こった。 国宝文化財として親鸞聖人自筆の教行信証(顕浄土真実教行証文類)が所蔵されている。

京住所: 京都府 京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町

更新履歴

2011年9月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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