金地院

以心崇伝

臨済宗南禅寺の塔頭。黒衣の宰相として知られる以心崇伝が住持となり、幕末まで当院住持が僧録司を兼務し絶大な権力を有した。方丈前庭の鶴亀の庭は、小堀遠州作庭である資料が唯一残っている庭園で、国の特別名勝。

金地院

南禅寺金地院について

基本情報

寺号
金地院(こんちいん)
宗派
臨済宗南禅寺派
寺格
南禅寺塔頭
創建
1394年~1427年(応永年間)
開山
大業徳基(だいごうとくき) - 南禅寺68世。
開基
足利義持
本尊
地蔵菩薩
駐車場
有料駐車場あり - 南禅寺駐車場利用。
交通機関
地下鉄蹴上駅徒歩5分、永観堂前バス停徒歩10分
住所
京都府京都市左京区南禅寺福地町86-12

概要

臨済宗南禅寺の塔頭。 応永年間(1394年~1428年)、南禅寺68世の大業が、足利義持の帰依を受け、洛北鷹ヶ峯に創建したのが起源で、以心崇伝(金地院崇伝)が、南禅寺塔頭として現在地に移し中興された。 崇伝は、徳川家康の篤い信任を受け、黒衣の宰相として江戸幕府の数々の基本法を草案したことで知られる。 僧録司となって宗教界全体の取締にあたり、幕末まで当院は僧録司(僧侶の登録・住持の任免などの人事を統括した役職)の地位にあった。   方丈は、伏見城の遺構と伝えられ、茶室八窓席は小堀遠州の好んだ三畳台目の茶室で「京都三名席」のひとつで、いずれも国の重要文化財。 また、方丈庭園は「鶴亀の庭」と称せられ、小堀遠州作庭である資料が残っている唯一の庭園で、国の特別名勝である。

見所

国宝
紙本着色秋景冬景山水図 2幅 - 北宋8代皇帝 徽宗(きそう)筆。身延の久遠寺蔵の国宝夏景山水図と春景幅(消失)の四幅一対の四季山水図であったといわれる。
紙本墨画溪陰小築図 -(東京国立博物館寄託)
国特別名勝
鶴亀の庭(金地院庭園) - 1630年、小堀遠州作庭の方丈前庭。遠州作庭である資料が残っている唯一の庭園。白砂は大洋を表し、鶴島と亀島の中間に郡仙島を象る石が点在し、前方に蓬莱石組みが立つ蓬莱式枯山水庭園。
国重要文化財
方丈 - 1611年、以心崇伝が、徳川家光から伏見桃山城の一部を賜り移建したもの。襖絵は狩野探幽・狩野尚信の筆。
八窓席 - 小書院に付設された小堀遠州の好んだ三畳台目の茶室。大徳寺孤篷庵の忘筌席、曼殊院の八窓席とともに「京都三名席」のひとつ。にじり口に外縁を設け茶道口が高い珍しい手法が用いられている。
東照宮 - 1628年、徳川家康の遺言により、以心崇伝が家康の遺髪と念持仏を奉戴して建立された。権現造。拝殿天井の鳴龍は狩野探幽筆。三十六歌仙の額は土佐光起筆。
武家諸法度草稿 - 以心崇伝筆の草案で、1615年、徳川家康が崇伝らに起草させたもの。
異国近年御書草案
惟康親王願文 - 鎌倉幕府6代将軍 宗尊親王百日法要に際して、7代将軍 惟康親王の法要願文。
紙本墨書本光国師日記 46冊 - 以心崇伝の日記で、武家諸法度の起草や方広寺鐘銘事件の経緯が記されている。(京都国立博物館寄託)
紙本墨書異国日記 2冊 - 以心崇伝の外交に関する日記。(京都国立博物館寄託)
紙本墨書異国渡海御朱印帳 - (京都国立博物館寄託)
紙本墨書異国日記御記録雑記 - (京都国立博物館寄託)
紙本墨書濃比須般国への返書案 - 崇伝筆。(京都国立博物館寄託)
紙本墨書慶長十九年林道春及び五山衆試文稿 - (東京国立博物館寄託)
紙本墨画山水図 2幅 - 楼閣山水図は狩野元信の筆。(大阪市立美術館寄託)
観光名所
開山堂 - 以心崇伝の塔所。後水尾天皇筆の額を掲げる。
明智門 - 明智光秀が母の菩提のため大徳寺に建立したものを明治元年に移築。
弁天池 - 池島に鎮守堂が祀られている。石橋は、2代岡山藩主の池田忠雄の寄進。

歴史

1394~1428年
応永年間、南禅寺68世の大業が、室町幕府4代将軍 足利義持の帰依を受け、洛北鷹ヶ峯に創建した。
1605年
以心崇伝が、南禅寺塔頭として現在地に移し中興した。
1610年
駿府にも金地院を建立した。
1611年
方丈が徳川家光から伏見桃山城の一部を賜り移建された。
1613年
以心崇伝起草のバテレン追放令(キリスト教禁教令)が公布された。
1615年
以心崇伝起草の武家諸法度(元和令)、禁中並公家諸法度が発布された。
1618年
江戸にも金地院を建立した。
1626年
現在の寺観が整えられた。
1628年
東照宮が建立された。
1629年
茶室「八窓席」が設けられた。
1632年
鶴亀の庭が作庭された。
1633年
以心崇伝が死去した。
1652年
小方丈が正伝寺に移された。
1830年
京都大地震で大破し、その後再興された。

撮影後記

 武家諸法度(元和令)、寺院諸法度、禁中並公家諸法度の起草者で、キリスト教の禁教令や豊臣家滅亡の発端にもなった方広寺鐘銘事件にも関与した金地院崇伝ゆかりの寺です。 「黒衣の宰相」の異名をとり、江戸幕府の基礎を築いた人物といっていいでしょう。 観光客で混み合う南禅寺でも静かで、境内には文化財が充実して見応えがあります。 なお、八窓席と障壁画の拝観は往復はがきで事前に申し込む必要があります。

更新履歴

2012年8月13日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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