京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院のひとつである。 「東海派」の本庵で、「龍泉派」「聖澤派」「霊雲派」ともに、妙心寺発展の基礎となった妙心寺四派のひとつである。 1484年(文明16年)、妙心寺中興開山 雪江宗深により敷地を与えられ、美濃の武将 斎藤利国(妙純)の妻である利貞尼(甘露寺親長の養女)が、雪江禅師の弟子 悟渓宗頓を請じて小庵を結び「東海庵」と名付けた。 国の名勝に指定されている書院西庭は、不老不死の仙人が住むという三仙山の一連を表し、「東海一連の庭」と称す。 また、白砂が敷かれただけの百坪余りに及ぶ方丈庭園は、「白露地の庭」と讃えられる。 江戸時代前期に建立された方丈、書院、庫裡などの堂宇は、京都府指定有形文化財。
ヒストリアル、シンプル、ロジスティックと三者三様の枯山水を有する塔頭です。 妙心寺四派本庵は他に、龍泉庵、聖澤院、霊雲院がありますが、「庵」がつく龍泉庵と東海庵の創建は、他よりも早く創建されました。 雪江宗深の四高弟のひとりである開山の悟渓宗頓は、「徳の悟渓」と讃えられる禅師で、尾張の出身。 教義を東海道に広めたことが、東海派の祖といわれる由縁です。
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