東海庵

妙心寺四派本庵

臨済宗大本山妙心寺の塔頭で、1484年、斎藤利国の妻 利貞尼が、悟渓宗頓を請じて創建した。妙心寺発展の基礎となった妙心寺四派のひとつ「東海派」の本庵である。「東海一連の庭」と称す書院西庭は国の名勝である。

東海庵

東海庵について

基本情報

寺号
東海庵(とうかいあん)
宗派
臨済宗妙心寺派
寺格
妙心寺塔頭
創建
1484年(文明16年)
開山
悟渓宗頓 - 妙心寺11世。
開基
利貞尼 - 甘露寺親長の養女 細姫。
駐車場
無料駐車場あり - 妙心寺駐車場利用。
交通機関
京福妙心寺駅徒歩5分、妙心寺北門前バス停徒歩5分
住所
京都府京都市右京区花園妙心寺町61

概要

臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院のひとつである。 「東海派」の本庵で、「龍泉派」「聖澤派」「霊雲派」ともに、妙心寺発展の基礎となった妙心寺四派のひとつである。 1484年(文明16年)、妙心寺中興開山 雪江宗深により敷地を与えられ、美濃の武将 斎藤利国(妙純)の妻である利貞尼(甘露寺親長の養女)が、雪江禅師の弟子 悟渓宗頓を請じて小庵を結び「東海庵」と名付けた。 国の名勝に指定されている書院西庭は、不老不死の仙人が住むという三仙山の一連を表し、「東海一連の庭」と称す。 また、白砂が敷かれただけの百坪余りに及ぶ方丈庭園は、「白露地の庭」と讃えられる。 江戸時代前期に建立された方丈、書院、庫裡などの堂宇は、京都府指定有形文化財。

見所

国名勝
東海庵書院庭園(書院西庭) - 1814年作庭の枯山水庭園。不老不死の仙人が住むという蓬莱、方丈、瀛州(えいしゅう)の三仙山の一連を表し、「東海一連の庭」と称す。
国重要文化財
孝明天皇宸翰徽号勅書 - 嘉永元年(1848年)の勅書。
絹本淡彩花鳥図 2幅 - 明時代の陳子和筆。
紙本水墨瀟湘八景図 4幅 - 狩野元信の筆。(京都国立博物館寄託)
絹本著色十六羅漢図 16幅 - 元時代の蔡山筆。(京都国立博物館寄託)
府文化財
本堂(方丈) 附 大玄関 - 1665年の建立。雪江宗深筆の扁額が掛かる。「室中の間」に悟渓宗頓木像、観音菩薩像、孝明天皇木像を安置する。
書院 - 1666年の建立。狩野派ともいう秋草を描いた障壁画などが残る。
庫裏 - 1666年の建立。
鐘楼 - 1689年の建立。
表門 - 1689年の建立。
市文化財
紙本墨画山水図 - 本座頭屏風4面は狩野探幽の筆。
観光名所
方丈前庭 - 方丈南庭の百坪余りの枯山水庭園。一面に白砂が敷かれ、棗形(なつめがた)手水鉢が置かれただけで、「白露地の庭」と称す。
書院南庭 - 7坪の枯山水の坪庭。大小7個の庭石が直線的に配され、中央の要石から波紋のような砂紋が拡がるさまは、小宇宙が表現されているという。

歴史

1484年
美濃の斎藤利国の妻 利貞尼が、悟渓宗頓を請じて創建した。
1573~1592年
天正年間、石川一光(東海庵殿)が現在の規模に拡張した。
1599年
石川頼明が兄 一光の17回忌を営み中興した。

撮影後記

 ヒストリアル、シンプル、ロジスティックと三者三様の枯山水を有する塔頭です。 妙心寺四派本庵は他に、龍泉庵、聖澤院、霊雲院がありますが、「庵」がつく龍泉庵と東海庵の創建は、他よりも早く創建されました。 雪江宗深の四高弟のひとりである開山の悟渓宗頓は、「徳の悟渓」と讃えられる禅師で、尾張の出身。 教義を東海道に広めたことが、東海派の祖といわれる由縁です。

更新履歴

2015年2月26日
初版をアップロードしました。

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