慧光寺

元伊佐町の由緒

天文年間(1532年~1555年)開創の西陣にある日蓮宗寺院。将軍足利義輝家臣であった野本輝久が殺害された後、輝久の妻 伊佐が、亡き夫の菩提を弔うため落飾して、元伊佐町に庵を結び、天正年間に現在地に移転した。

慧光寺

慧光寺について

基本情報

山号寺号
智証山慧光寺(ちしょうざんえこうじ)
宗派
日蓮宗
創建
1532年~1555年(天文年間)
開基
野本伊佐 - 足利義輝家臣 野本輝久の妻。
本尊
三宝尊
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
千本中立売バス停徒歩5分
住所
京都府京都市上京区笹屋町1丁目562-5

概要

西陣にある日蓮宗の寺である。 寺伝によれば、天文年間(1532年~1555年)、将軍足利義輝家臣であった野本輝久が、将軍を暗殺しようと企む三好長慶の家臣に殺害された後、輝久の妻 伊佐が、亡き夫の菩提を弔うため落飾して、上京区元伊佐町に庵を結んだのが起源と伝える。 寺号「慧光寺」は、輝久の法名に由来し、人々は伊佐の庵を「伊佐殿」と呼んだという。 天正年間(1573年~1593年)に現在地の笹屋町に移転し、享保15年(1730年)に火災で焼失し、その後に再建された。

見所

観光名所
本堂 - 享保15年(1730年)に火災で焼失し、その後再建された。
七面堂 - 七面大明神を祀る。
ヤマザクラ - 幹周2.05mの桜樹で、上京区民の誇りの木となっている。

歴史

1532~1555年
天文年間、足利義輝家臣 野本輝久の妻 伊佐が、亡き夫の菩提を弔うため落飾して開創したと伝わる。
1573~1593年
天正年間、現在地に移った。
1730年
火災で焼失した。

撮影後記

 駒札も立っていないので観光寺院ではありませんが、浄福寺に訪れた際に、見事な公孫樹の樹が見えたので、お邪魔してみました。 「慧」は「恵」の旧字体で「恵光寺」とも。
 当寺から北東方向の今出川通沿いに建つ京都市考古資料館がある町内を「元伊佐町」といいます。 これは開基となった野本伊佐の伊佐に由来するものと思われます。 女性が町名の由緒になっているのも珍しいですね。

更新履歴

2015年1月15日
初版をアップロードしました。

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