京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
西陣にある日蓮宗の寺である。 寺伝によれば、天文年間(1532年~1555年)、将軍足利義輝家臣であった野本輝久が、将軍を暗殺しようと企む三好長慶の家臣に殺害された後、輝久の妻 伊佐が、亡き夫の菩提を弔うため落飾して、上京区元伊佐町に庵を結んだのが起源と伝える。 寺号「慧光寺」は、輝久の法名に由来し、人々は伊佐の庵を「伊佐殿」と呼んだという。 天正年間(1573年~1593年)に現在地の笹屋町に移転し、享保15年(1730年)に火災で焼失し、その後に再建された。
駒札も立っていないので観光寺院ではありませんが、浄福寺に訪れた際に、見事な公孫樹の樹が見えたので、お邪魔してみました。
「慧」は「恵」の旧字体で「恵光寺」とも。
当寺から北東方向の今出川通沿いに建つ京都市考古資料館がある町内を「元伊佐町」といいます。
これは開基となった野本伊佐の伊佐に由来するものと思われます。
女性が町名の由緒になっているのも珍しいですね。
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