大光明寺

伏見宮家菩提寺

臨済宗大本山相国寺の塔頭寺院で、伏見宮家の菩提寺となっている。1339年、後伏見天皇女御 広義門院西園寺寧子が、後伏見天皇の菩提を弔うため、伏見に創建したのが起源。江戸時代初期、相国寺山内に移された。

大光明寺

大光明寺について

基本情報

山号寺号
梵王山大光明寺(ぼんおうざんだいこうみょうじ)
宗派
臨済宗相国寺派
寺格
相国寺塔頭
創建
1339年(暦応二年)
開山
夢窓疎石
開基
広義門院 - 光厳天皇及び光明天皇の実母 西園寺寧子。
本尊
普賢菩薩
札所
京都十三仏霊場 第4番
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
地下鉄今出川駅徒歩5分
住所
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701

概要

臨済宗大本山相国寺の塔頭寺院である。 1339年、後伏見天皇女御 広義門院西園寺寧子が、後伏見天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として、伏見殿(伏見離宮)のそばに創建されたのが起源。 寺号は広義門院の法号による。 伏見宮初代 栄仁親王(広義門院の孫)没後に寺内に葬られ、以来伏見宮家の菩提所となっている。 江戸時代初期、徳川家の外護により、相国寺山内に移され塔頭として再興された。

見所

国重要文化財
絹本着色羅漢図 - (承天閣美術館寄託)。
観光名所
方丈(本堂) - 1818年、伏見宮邦頼親王17年忌に際し、新女御院宮殿を下賜され再建された。本尊普賢菩薩像を安置する。
心字の庭 - 方丈前庭の枯山水庭園。心字を石組で表わしている。
峨眉山の庭 - 山門と中門の間にある枯山水庭園。中国四川省峨眉山が普賢菩薩道場とされ、近年作庭された。
墓地 - 9代将軍足利義尚の墓がある。

歴史

1339年
広義門院が後伏見天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山として、伏見殿(伏見離宮)のそばに創建された。
1416年
伏見宮初代 栄仁親王(広義門院の孫)没後に寺内に葬られ、以来伏見宮家の菩提所となった。
応仁の乱
兵火で荒廃した。
1594年
豊臣秀吉は伏見殿に伏見城を築造し、方丈が建立された。
1615年
徳川家の外護により、相国寺山内に移され塔頭として再興された。
1788年
天明の大火で焼失した。
明治元年
廃絶した。
明治6年
伏見宮仮菩提所になっていた塔頭の心華院に合併された。
明治39年
廃絶していた塔頭の常徳院も合せ、「大光明寺」として再興された。

撮影後記

 江戸時代に相国寺山内に寺基を遷す以前の大光明寺のあった桃山の跡地には、現在、大光明寺陵があります。 北朝の光明天皇、崇光天皇、伏見宮家第2代の治仁親王が葬られています。 明治天皇の勅裁により南朝が正統とされたため、宮内庁のウェブサイトの天皇陵を調べても掲載されていませんが、宮内庁が管理しています。

更新履歴

2015年1月12日
初版をアップロードしました。

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