廬山寺

紫式部

寺町にある天台宗系単立の門跡寺院。938年、延暦寺の元三大師良源が北山に創建したとされ、豊臣秀吉によって寺町に移転した。紫式部が「源氏物語」を執筆した地と伝えられ、「源氏庭」には紫の桔梗が植えられている。

廬山寺

廬山寺について

基本情報

寺号
廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)
別称
廬山寺(ろざんじ)
宗派
天台圓浄宗 - 天台宗系単立。
寺格
大本山
創建
938年(天慶元年)
開山
良源 - 延暦寺中興の祖 元三大師
本尊
阿弥陀如来
札所
洛陽三十三所観音霊場 第32番、京都七福神 3番(毘沙門天)
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
府立医大病院前バス停徒歩3分
住所
京都府京都市上京区北之辺町397
サイト
廬山寺

概要

寺町にある天台宗系単立寺院。 938年、延暦寺中興の祖 良源(元三大師)が、北山(船岡山南麓とも)に開いたのが起源。 天正年間、豊臣秀吉の都市改造政策により現在地の寺町に移転した。 皇室とのゆかりが深く、宮中の仏事を司る御黒戸四箇院のひとつであった。 天明の大火で失った堂宇は、皇室の援助で復興し、本堂や御黒戸は仙洞御所から下賜されたものである。 また、この地は、紫式部の邸宅跡で「源氏物語」の執筆地としても伝えられる。 白砂に絵巻物の雲をかたどって苔を州浜型に配し、紫式部に因み、紫の桔梗が植えられた「源氏の庭」は、京都随一のキキョウの名所である。 毎年、節分には「鬼法楽」が行われる。 松明や剣を持って暴れる赤鬼、大斧を持った青鬼、大槌を持った黒鬼に餅と豆を投げ、追儺師が邪気払いの法弓で矢を放ち、鬼たちを退散させる。

見所

国宝
慈恵大師筆遺告 - (東京国立博物館寄託)
国重要文化財
紙本墨書正親町天皇宸翰女房奉書
木造如意輪観音半跏像 - 創建時のものは、聖徳太子が開基した金山天王寺本尊であったものだが、焼失。現在のものは、飛鳥仏の容貌を残す鎌倉時代の作。(京都国立博物館寄託)
絹本著色普賢十羅刹女像 - (京都国立博物館寄託)
後伏見天皇宸翰願文 - (京都国立博物館寄託)
選択本願念仏集(法然真筆、草稿本) - (京都国立博物館寄託)
慈恵大師廿六箇条起請 - (京都国立博物館寄託)
国史跡
御土居 - 豊臣秀吉による御土居が墓地の東に一部残る。寺町に唯一残る遺構。
府文化財
木造兜跋毘沙門天立像 - 平安時代作。
木造阿弥陀如来及両脇侍坐像 - 鎌倉時代作。
金銅蓮華形柄香炉 - 南北朝時代作。
観光名所
本堂 - 1794年、仙洞御所の一部を移築したもの。本尊阿弥陀三尊(阿弥陀如来・右脇侍勢至菩薩・左脇侍観音菩薩)を安置する。
元三大師堂 - 元三大師(良源)が祀られている。京都七福神3番の毘沙門天も安置されている。
御黒戸(尊牌殿) - 御内仏殿に黒戸を用いる。1794年、仙洞御所の一部を移築したもの。
源氏庭 - 源氏物語の花散里の屋敷はこのあたりであったといわれ、昭和40年に作庭された。白砂に絵巻物の雲をかたどって苔を州浜型に配し、紫式部に因み、紫の桔梗(源氏物語に出てくる朝顔は桔梗のこと)が植えられた枯山水庭園。京都随一のキキョウの名所である。
紫式部の歌碑
御陵 - 慶光天皇(光格天皇の父親)、宝蓮華院宮(明治天皇の妹)の御陵。仏師 定朝の墓。

行事

1月3日
初元三会
2月3日
追儺式鬼法楽(節分会) - 松明や剣を持って暴れる赤鬼、大斧を持った青鬼、大槌を持った黒鬼に餅と豆を投げ、追儺師が邪気払いの法弓で矢を放ち、鬼たちを退散させる「鬼おどり」が行われる。良源が、宮中で護摩を修した際、邪鬼を豆を撒いて退散させたという故事に由来する。
8月13日~16日
盂蘭盆会
9月3日
元三大師 誕生会

歴史

938年
比叡山の良源(元三大師、慈恵大師)が、北山(船岡山南麓とも)に「興願金剛院(よがんこんごういん)」を創建したのが由来。
1243年
法然の弟子である覚瑜が、船岡山南麓に再興。中国の廬山にならって「廬山天台講寺」と号した。
1397年
火災で焼失。
1404年
足利義満により明に派遣された明宝志が、明の唯実により中国の慮山寺に倣い、「日本慮山寺」と公称したという。
応仁の乱
兵火で灰燼に帰した。
1494年
火災で焼失。
1569年
類焼した。
1571年
織田信長の比叡山焼き討ちで焼失。(正親町天皇の女房奉書により免れたとも)
1573~1592年
天正年間、豊臣秀吉の都市改造政策により現在地の寺町に移転した。
1585年
二十二世 超空が、聖徳太子が開基した全国四ヶ所の天王寺の一つの金山天王寺を今出川通七本松に移した。
1708年
宝暦の大火で焼失。
1788年
天明の大火で焼失。
幕末
皇室の援助で復興した。
明治5年
宮中の御黒戸四箇院(宮中の仏事を司る寺院のひとつ)から比叡山延暦寺に属した。
昭和23年
天台宗から圓浄宗として、四宗兼学の道場となった。

撮影後記

 寺町通沿い、京都御所の東側にある寺院で、明治維新まで宮中の仏事を司る皇室の御黒戸四ヶ院だった格式高い摂家門跡寺院です。 紫式部が、この辺りにあった邸宅で結婚生活を送り、一人娘の賢子を育て、源氏物語を執筆したとのことで、室内には、ゆかりの品々が展示されています。 また、「源氏物語ウェディング」と称する結婚式も境内で挙げることができるそうで、新婦は十二単、新郎は直衣で、さながら源氏物語絵巻のような世界を味わえるそうです。 興味ある方は是非。

更新履歴

2012年7月16日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。
2014年3月23日
登録カテゴリを洛中から移動しました。

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