高山寺

賽の河原

西院にある浄土宗寺院。淳和上皇の離宮「西院」が営まれた地で、後に寺になったといわれる。嘗てこの付近には佐比川が流れ、庶民の葬送の地であった。地名の「西院(さい)」が「賽」に通じるため、本尊は、賽の河原に登場する地蔵ともいわれる。

高山寺

高山寺について

基本情報

山号寺号
日照山高山寺(にっしょうざんこうさんじ)
別称
賽の河原(さいのかわら)
宗派
浄土宗
創建
不詳
開山
伝 善西
本尊
地蔵菩薩、十一面観音
駐車場
駐車場なし
交通機関
阪急西院駅、京福西院駅すぐ
住所
京都府京都市右京区西院高山寺町18

概要

西院にある浄土宗寺院。 平安時代初期この一帯は、淳和上皇の離宮「淳和院」が営まれていた。 御所の西にあることから「西院」と称された。 西院がその後、寺になったといわれる。 本尊の地蔵菩薩は子安地蔵と呼ばれ、日野富子が祈願して足利義尚を生んだことから安産の信仰が篤い。 また、平安時代この付近は庶民の葬送の地であったため、地名の「西院(さい)」が賽の河原の「賽」に通じるため、賽の河原に登場する地蔵尊ともいわれる。

見所

観光名所
本堂 - 本尊の地蔵菩薩(子安地蔵)は、日野富子が祈願して足利義尚を生んだことから安産の信仰があり、賽の河原の地蔵尊ともいわれる。
石地蔵菩薩 - 石地蔵菩薩の周りを350あまりの地蔵が取囲む。
淳和院跡の石標 - 平安時代初期、淳和天皇の離宮である西院が、この辺りにあった。

歴史

平安時代初期
この一帯は、淳和上皇の離宮「淳和院」が営まれていた。御所の西にあることから「西院(さいいん)」と称された。やがて、佐比大路に当たることから「西院(さい)」とも呼ばれるようになった。
840年
上皇が死去すると皇太后は出家し、西院は仏道修行の道場となった。
871年
この付近は庶民の葬送の地と定められた。
879年
皇太后没後、その遺命により西院は寺となった。また、善西の開基で、高西寺と称したともいう。
平安時代中期
平安京の右京が湿地帯のため衰退し荒廃し、付近は広い河原となり、「西院(さい)の河原」と呼ばれた。
中世
地蔵和讃の賽の河原信仰を生んだ。

撮影後記

 世界遺産で知られる三尾の高山寺ではなく、こちらは西院の高山寺です。 境内はビル群が立ち並ぶ市街地にあり、こじんまりしていますが、賽の河原で知られている比較的有名なお寺さんです。 つまり三途の川の河原のこと。
 昭和初期まで、佐井通(春日通)に沿い、佐比川(さいがわ)と呼ばれる小川が流れていたそうです。 平安時代はもっと川幅が広かったらしく、広い河原となっていました。 また、この辺りは庶民や子供の葬送地で、地蔵和讃ともあいまって賽の河原と結びついたそうです。 ちなみに今でも阪急の西院駅は「さいいん」ですが、京福の西院駅は昔ながらの読みで「さい」と呼びます。

更新履歴

2012年6月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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