霊鑑寺

谷の御所

1654年に創建された尼門跡寺院で、代々の皇女が入寺し、「谷御所」と称された。臨済宗南禅寺派に属し、江戸時代における尼門跡の景観を伝えている。創建時に植栽された「日光椿」をはじめ、ツバキの名所である。

霊鑑寺

霊鑑寺について

基本情報

山号寺号
円成山霊鑑寺(えんじょうざんれいかんじ)
別称
谷の御所、鹿ヶ谷比丘尼御所
宗派
臨済宗南禅寺派
寺格
尼門跡寺院
創建
1654年(承応三年)
開山
多利宮 - 後水尾天皇皇女。
開基
了性院(持明院基子) - 後陽成天皇の典侍。
本尊
如意輪観音
札所
洛陽十二支妙見めぐり 卯(東)
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
宮ノ前町バス停徒歩5分
住所
京都府京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町12

概要

1654年(承応3年)、後水尾天皇皇女 多利宮を開基として現在地の南隣りの渓谷沿い(円成寺跡地)に創建された尼門跡寺院で、臨済宗南禅寺派に属す。 以来、代々の皇女、皇孫女が入寺し、「谷御所」「鹿ヶ谷比丘尼御所」と称された。 寺号は東方山中にあった如意寺の如意輪観音像と霊鏡を当寺に遷されたことによるという。 貞享年間(1684年~1688年)、後西天皇皇女 普賢院宮門跡の代に、父親の後西天皇の院御所が下賜され、諸堂が現在地に移築された。 院御所の旧殿遺構である書院を中心に、江戸時代における尼門跡の景観を伝えている。 創建時に植栽されたものといわれる「日光椿」をはじめ、ツバキの銘種30数種以上見ることができる。

見所

市文化財
本堂 - 徳川家斉の寄進で、1803年(享和3年)の再建。東方山中にあった如意寺より遷され源信作という本尊如意輪観音像、円珍の作といわれる不動明王像が安置されている。
書院 - 1675年造営の後西院御所の御休息所 御番所を貞享年間(1684年~1688年)に移築した。狩野派の絢爛豪華な障壁画で飾られている。
玄関 - 貞享年間(1684年~1688年)、後西天皇皇女 普賢院宮宗栄が、父親の院御所御殿の休憩所を下賜されたもの。
表門 - 1752年(宝暦2年)頃の建立。
鎮守社 - 本堂前方山手に鎮座する。
観光名所
妙見堂 - 洛陽十二支妙見めぐり卯(東)。「鹿ヶ谷の妙見さん」と呼ばれる。
不動堂 - 石造不動尊が祀られている。
庭園 - 池泉観賞式庭園。後水尾上皇御遺愛の日光椿をはじめ、ツバキの銘種が30数種以上ある名所。
市天然記念物
霊鑑寺の日光 - 樹齢300年以上で創建時に植栽されたといわれる日光椿(じっこうつばき)。幹周りは東幹0.94m、西幹0.75mの「カラコ咲き」のツバキで、原木に準ずる個体。

歴史

1654年
後水尾天皇皇女 多利宮を開基として現在地の南隣りの渓谷沿い(円成寺跡地)に創建された。
1684~1688年
貞享年間、諸堂が現在地に移築された。
江戸~明治23年
代々の皇女、皇孫女が入寺し、「谷御所」「鹿ヶ谷比丘尼御所」と称された。
明治6年
門跡の称号が廃止され、南禅寺の管理下に置かれた。

撮影後記

 普段は拝観寺院ではありませんが、毎年4月上旬の一週間ほど特別公開されています。 ちょうどツバキの最盛期で、庭園に咲く30種以上の名椿を鑑賞できます。 拝観パンフに記載されていた栽培品種を列挙すると、「日光」、「ちり」、「古桜」・おそらく椿・白侘助・黒、「舞鶴」・菱唐糸・風折、「白玉」・羽衣、「紅八重侘助」・有楽、「白牡丹」、「衣笠」、「蝦夷錦」・永楽・雪、「曙」・秋の山・熊谷・雪中花、ロールフローラ・ルチェンシス・不知火、奴、「獅子」、「縮緬」・白澄・胡蝶侘助・孔雀・月光・崑崙黒・大虹・「早咲赤藪」など。 「」のツバキは、霊鑑寺が原木とされるそうです。

更新履歴

2015年1月28日
初版をアップロードしました。

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