弘源寺

虎嘯の庭

臨済宗天龍寺の塔頭寺院。1429年、室町幕府官領であった細川持之が、夢窓疎石の法孫にあたる玉岫を開山に迎え創建した。客殿形式の本堂からは、嵐山を借景にした枯山水庭園「虎嘯の庭」が眺められる。

弘源寺

弘源寺について

基本情報

山号寺号
西山弘源寺(せいざんこうげんじ)
宗派
臨済宗天龍寺派
寺格
天龍寺塔頭
創建
1429年(永享元年)
開山
玉岫(ぎょくしゅう)
開基
細川持之
本尊
観世音菩薩
駐車場
有料駐車場あり - 天龍寺境内駐車場利用。
交通機関
嵐電嵐山駅徒歩2分、JR嵯峨嵐山駅徒歩10分
住所
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町65
サイト
弘源寺

概要

臨済宗天龍寺の塔頭寺院。 1429年、室町幕府官領であった細川持之(細川家九代)が、夢窓疎石の法孫にあたる玉岫を開山に迎え創建した。 細川持之の院号から「弘源寺」と号された。 室町時代には小倉山の麓に広大な寺領を有したが、幾度かの火災で衰退し、明治17年に末庵である維北軒と合寺し現在地に移転した。 客殿形式の本堂からは、嵐山を借景にした枯山水庭園「虎嘯の庭(こしょうのにわ)」が眺められる。 また、毘沙門堂には国の重要文化財に指定されている毘沙門天像が安置されている。

見所

国重要文化財
毘沙門天像 - 平安時代作。インドの仏師 毘首羯磨(びしゅかつま)作で三国伝来の像。はじめ比叡山無動寺に安置されていたものを創建時に迎えた。
観光名所
本堂 - 客殿形式の本堂。寛永年間(1624年~1644年)の建立。蛤御門の変で天龍寺に陣を構えた長州藩士による試し切りの刀傷が柱に残る。
虎嘯の庭 - 嵐山を借景にした枯山水庭園。虎嘯とは、「龍吟雲起、虎嘯風生」から名付けられた。龍吟は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、虎嘯は大地より涌出る朗々たる響きを表し、禅の悟りの境涯を表現している。
毘沙門堂 - 重文の毘沙門天像を安置。「多聞天」の扁額は、弘法大師直筆。天井画は、嵯峨面作家 藤原孚石により四季草花四十八面が描かれている。
山門 - 右側億に臥牛石が置かれている。
小倉山墓地 - 西行法師ゆかりの井戸や向井去来の遺髪を埋めた墓がある。

歴史

1429年
室町幕府官領であった細川持之(細川家九代)が、夢窓疎石の法孫にあたる玉岫を開山に迎え創建した。細川持之の院号から「弘源寺」と号された。
室町時代
小倉山の麓、落柿舎のあたりに、北は二尊院、南は亀山にいたる広大な寺領を持っていた。
1864年
蛤御門の変で、長州藩士が陣を構えた。
明治17年
末庵だった維北軒を合寺し、現在の地に移転した。

撮影後記

 天龍寺の公開塔頭のひとつです。 毎年、春と秋に宝厳院とほぼ同時期に特別公開されます。 宝厳院割引共通券を購入すると、多少割安になります。 重文の毘沙門天立像や竹内栖鳳とその一門(上村松園・西山翠嶂・徳岡神泉ほか)など文化勲章受章画家の日本画などが展示されています。 宝厳院のように広大な庭園があるわけではないので、文化財に特に興味がある方は拝観するとよいでしょう。

更新履歴

2012年6月14日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。

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