瑞泉寺

豊臣秀次一族の菩提寺

1611年、角倉了以が豊臣秀次とその一族の菩提を弔うため創建した浄土宗西山禅林寺派の寺である。境内には、秀吉に切腹させられた関白秀次の墓と、三条河原で処刑された妻妾と幼児の多数の五輪塔が立ち並んでいる。

瑞泉寺

瑞泉寺について

基本情報

山号寺号
慈舟山瑞泉寺(じしゅうざんずいせんじ)
別称
太閤記の寺
宗派
浄土宗西山禅林寺派
創建
1611年(慶長十六年)
開山
立空桂叔
開基
角倉了以
本尊
阿弥陀如来
駐車場
専用駐車場なし
交通機関
京阪三条駅・地下鉄三条京阪駅徒歩3分
住所
京都府京都市中京区石屋町114-1

概要

1611年(慶長16年)、角倉了以が豊臣秀次とその一族の菩提を弔うため創建した浄土宗西山禅林寺派の寺である。 豊臣秀吉に嫡男秀頼が生まれると、関白 豊臣秀次は疎遠され、終には高野山で自害させられ、妻妾と幼児39名の秀次一族が三条河原で処刑された。 一族の遺骸を埋葬した河原には塚が築かれ石塔が建立された。 16年後、角倉了以が高瀬川の開削の際に荒廃した塚と石塔を発見して、墓域を再建するとともに、僧桂叔を開山に一宇を建立して「瑞泉寺」と号した。 寺号は、豊臣秀次の法号「瑞泉寺殿」による。 境内には豊臣秀次の墓と、一族家臣四十九柱の五輪塔が立ち並んでいる。

見所

観光名所
本堂 - 1805年の再建。本尊阿弥陀如来像、角倉了以と長男 角倉素庵の像が安置されている。
豊臣秀次の墓 - 1611年に建立された六角石塔。
四十九柱の五輪塔 - 三条河原で処刑された妻妾と幼児39柱、殉死した家臣10柱の五輪塔が、秀次の墓の両側に立ち並ぶ。後世に建立された。

歴史

1595年
関白 豊臣秀次が高野山で自害させられ、妻妾と幼児39名の秀次一族が三条河原で処刑された。
1611年
高瀬川開削中の角倉了以が、荒廃した塚と石塔を発見して、豊臣秀次一族の菩提を弔うため創建した。
1788年
天明の大火で焼失した。
1805年
現在の堂宇が再建された。

撮影後記

 瑞泉寺が建っている位置は、当時の鴨川の大きな中州で、現本堂が建っている場所に秀次の塚が築かれていたと伝わります。 これも、あくまで寺側の絵縁起によるものですが、その塚の頂上に秀次の晒首がおかれ、「秀次悪逆塚」と刻んで石塔が立てられ、見せしめにされました。 了以はこれに心を痛め、僧桂叔と相談して、碑面から「悪逆」の2字を削って墓域を整備したといわれます。 瑞泉寺の創建から4年後、大坂城で秀頼と淀君は自害して豊臣家は滅亡します。

更新履歴

2015年1月22日
初版をアップロードしました。
2015年9月21日
ギャラリーに作品を1点追加しました。

瑞泉寺紀行のコメント

コメントを書く

お名前 ※
ホームページ
コメント本文 ※
認証キー ※ (半角)
Captcha Code

フェイスブックを開始しました。上のタブからどうぞ。

おすすめギャラリー

鎌倉

鎌倉紀行

作品追加中
さくら

さくら紀行

作品追加中
美瑛・富良野