京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
「鳴虎」の通称で知られる浄土宗の寺である。 室町時代中期までは天台兼学の寺院として一条高倉付近にあったが、後柏原天皇の勅旨で、1501年(文亀元年)、慶誉が中興し浄土宗寺院となった。 その後、豊臣秀吉の京都改造により、現在地の寺之内に移された。 水を飲む虎を緻密な筆致で描かれた明時代の寺宝「鳴虎図」は、秀吉が気に入り聚楽第に持ち帰ったところ、毎夜吠えて眠れず寺に返したという逸話がある。 客殿は黒田長政が最期を迎えた部屋で、長政と父 黒田官兵衛(如水)の位牌が祀られている。
創建の由緒は不詳ですが、洛西の浄住寺を前身とするともいわれます。 梵鐘「撞かずの鐘」についての説明がスペースの都合できなかったので、簡単に此処で。 かつて朝夕に撞かれ、一帯の西陣織屋で仕事の始まりと終わりの合図にされていました。 寺近くの織屋には、15歳の丁稚と13歳の織女が働いていました。 ある日、夕刻の鐘の数をめぐり口論になり、織女は9つ、丁稚は8つと言い争います。 本来は煩悩の108の12/1の9つが毎夕刻に撞かれていたのですが、丁稚はこの日だけ寺男に8つ撞くことを頼みます。 夕方、鐘は8つしか鳴らず、織女は悔しさから鐘楼に帯をかけ首を吊ってしまいました。 以来、朝夕に鐘を撞くのも止め、「撞かずの鐘」といわれるようになりました。
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