京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
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京都 四季の古都紀行
Kyoto: Ancient Capital for Thousand Years
江戸時代、祇園社の門前町として開け、幕末から明治初期にかけての質の高い町家が今も整然と並び歴史的風致を形成している祇園甲部の特別エリア。 国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。 新橋通と白川沿いの祇園白川に分かれ、分岐点に当たる巽橋のたもとに、辰巳大明神の祠がある。 商売繁盛とともに辰巳のタツに芸能上達の御利益を願い、舞妓さん芸妓さんが手を合わせる。 柳が影を落とす川面には鴨や鯉が遊び、舞妓芸妓がそぞろ歩き、春は枝垂れ桜が、秋は紅葉と京都らしい情景が残る。
東大路通から花見小路通までの白川北通(なすありの道)も祇園白川ですが、観光の観点からの祇園白川と呼ばれるのは、巽橋の架かる白川南通になります。
つまり、祇園新橋の伝統的建造物保存地区のひとつ南のレンジなります。
ここに掲載しているのも上記の範囲になっています。
ここで白川の流れを見てみましょう。
源流域は、比叡山の麓、滋賀県大津の山中町(白川山)になります。
その後、山中越を西流し、白河通に沿って南進、岡崎で琵琶湖疏水に合流します。
そして、国立近代美術館付近で疏水と分かれ、祇園へと流れます。
そして鴨川に合流することになります。
この最後の区間が祇園白川のレンジということです。
ここで注目したいのは、明治23年に完成した琵琶湖疏水。
現在の白川の流れは、途中に琵琶湖疏水と共用する区間があり、本来の流れではありません。
白川の名前の由来は、その名の通り、源流域が花崗岩を含む礫質砂層で構成されて、川底が白砂が敷き詰められているようであるからと云われています。
江戸末期の祇園の最盛期には、白川砂が敷き詰められ、さらさらと流れていたのかもしれませんね。
ちなみに、古来の白川は三条通の北側を西進して鴨川に注いでいたそうです。
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