清閑寺

小督局と高倉天皇

「歌乃中山」と号する802年創建の真言宗智山派の寺。「平家物語」の非恋で知られる高倉天皇と小督局ゆかりの寺で、背後の山には高倉天皇陵があり、傍らには生涯にわたって菩提を弔ったといわれる局の墓がある。

清閑寺

清閑寺について

基本情報

山号寺号
歌中山清閑寺(かちゅうざんせいかんじ)
別称
歌の中山
宗派
真言宗智山派
創建
802年(延暦二十一年)
開山
紹継
開基
紹継
本尊
十一面千手観音
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
清閑寺山ノ内町バス停徒歩8分
住所
京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町3

概要

「歌乃中山(うたのなかやま)」と号する真言宗智山派の寺で、桜や紅葉の美しさから数多くの歌が詠まれた。 802年(延暦21年)、比叡山の紹継法師により天台宗寺院として創建された。 一条天皇の御代に勅願寺となり堂塔が並び興隆したが、応仁の乱の後に荒廃し、慶長年間(1596年~1615年)、根来寺の性盛により復興された。 「平家物語」の非恋で知られる高倉天皇と小督局ゆかりの寺で、平清盛の娘を中宮とする高倉天皇に寵愛されたために清盛の怒りに触れた小督局は、宮中を追われてこの寺に隠棲した。 天皇は自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残し逝去された。 背後の山に高倉天皇後清閑寺陵があり、傍らには生涯にわたって菩提を弔ったといわれる局の墓がある。

見所

宮内庁治定
六條天皇 清閑寺陵 - 六条天皇の陵墓。
高倉天皇 後清閑寺陵 - 高倉天皇の遺言により、寵愛した小督局の亡くなった清閑寺に葬られたという。
観光名所
本堂 - 菅原道真が梅樹で刻んだと伝わる本尊十一面千手観音像が安置されている。
小督局供養塔 - 小督局を供養する宝篋印塔。
要石 - この石からは扇を広げたように京都市街が望め、扇の要の位置に当たることから。この石に願掛けすると叶うといわれる。
茶室 郭公亭跡 - 清水寺成就院の勤皇僧 月照上人と西郷隆盛が、密議を交わした場所といわれる。平成3年に解体された。

歴史

802年
比叡山の紹継により、天台宗寺院として創建された。
987年
伊予守 佐伯公行により再興された。
996年
一条天皇の勅願寺となった。
1029年
火災で焼失した。
1176年
六條天皇が山内に葬られた。
1181年
高倉天皇が山内に葬られた。
応仁の乱
兵火で焼失した。
1596~1615年
慶長年間、根来寺の性盛により復興され、真言宗智山派に属した。
1858年
茶室 郭公亭で、清水寺成就院の月照と西郷隆盛が密議を交わした。

撮影後記

 清水寺の子安塔から、さらに奥の方に佇む「平家物語」ゆかりの小寺です。 子安塔までは観光客も大勢訪れますが、清閑寺まで足を運ぶ人は限られます。 かつては清水寺に匹敵するほどの大寺だったそうで、現在も清閑寺を冠称する町名が一帯に広がり、その名残を伝えています。
 また、「歌中山」という山号からも、桜や紅葉の美しさから数多くの歌が詠まれました。 「小督桜」という名桜もあったので、次は桜の時期に撮影してみたいと思っています。

更新履歴

2015年2月12日
初版をアップロードしました。

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