藤森神社

藤森祭

平安遷都以前の古社。毎年5月5日に行われる「藤森祭」は、菖蒲の節句(端午の節句)発祥の祭とされる。また馬の神として信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの参拝を集め、藤森祭での「駈馬神事」は有名である。

藤森神社

藤森神社について

基本情報

社名
藤森神社(ふじのもりじんじゃ)
別称
紫陽花の宮
創建
伝 203年(神功皇后摂政3年)
主祭神
素盞嗚命(スサノオ)
旧社格
府社
例祭
5月5日 - 藤森祭。
駐車場
無料駐車場あり
交通機関
京阪墨染駅徒歩5分、JR藤森駅徒歩5分
住所
京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609
サイト
藤森神社

概要

深草の地に、平安遷都以前より祀られている古社。 「日本書紀」によると、203年、神功皇后が、この藤森の地を神在の聖地として、新羅出兵から凱旋し、塚を作り、その兵具を納めて「いくさ旗」「纛旗」を立てて神として祀ったことが由来という。 毎年5月5日に行われる藤森祭は、菖蒲の節句(端午の節句)発祥の祭とされ、「菖蒲」は「勝負」に通じることから、勝運を呼ぶ神として信仰が篤い。 藤森祭で奉納される駈馬神事が、馬の神事であることから馬の神として信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの参拝を集める。 また、日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから、学問の神としても信仰されている。 境内の紫陽花苑では、約3,500本のあじさいが咲き誇り、京都のアジサイの名所である。

見所

国重要文化財
境内社八幡宮本殿 - 摂社。1438年、足利義教が造営したものという。
境内社大将軍社社殿 - 摂社。平安京の四方に祀られた大将軍神社のうちの南方の守護神。1438年、足利義教が造営したものという。
木造狛犬 一対 - (京都国立博物館寄託)
紫糸威鎧 - 南北朝時代のもの。(京都国立博物館寄託)
市文化財
本殿 - 1712年、中御門天皇の宮中内侍所(賢所)を下賜されたもの。現存の賢所としては最も古い。
拝殿 - 本殿と同時に下賜されたもので、通り抜けできる割拝殿として有名。
観光名所
神楽殿
斎館
参集殿 - 宝物殿。
神宝殿 - 大鎧や刀、大筒など、戦いに因んだ社宝100点余りが展示され、日本各地の馬の郷土玩具や世界各国の馬のミニチュアが展示されている「馬の博物館」が併設されている。
鳥居 - かつて、後水尾天皇宸筆の額がかけられており、各大名が参勤交代の際、駕籠から降りて拝礼をして、槍などを倒して通行をしなければならなかった。しかし、新選組の近藤勇が、このような悠長なことでは時代に即しないと、外してしまったといわれる。
神馬像 - 馬の社の象徴として建立された。
絵馬舎 - JRAにおける重賞レース優勝馬を始め、競馬をモチーフにした絵馬が奉納されている。 
手水舎 - 水鉢の台石は、石川五右衛門が宇治浮島の十三重塔の第九層を持って来たといわれる。
旗塚 - 神功皇后が、新羅凱旋の兵器を納めて「いくさ旗」を立てた塚。塚には、いちいの木が立ち、「いちのきさん」と称されて、腰痛にご利益があるといわれる。新選組の近藤勇が腰痛で祈願に通ったともいわれる。
かへし石 - かつて、この石を拝殿から鳥居まで転がす力試しが行われたという。
蒙古塚 - 蒙古の将兵と戦利の兵器を納めたところ。かつては、7つの塚があった。
白松(はくしょう) - 中国では白松を宮殿に植える。昭和10年頃の植樹。
神鎧像 - 藤森祭は、菖蒲の節句の発祥の祭であり、節句に飾る武者人形には、藤森の神さまが宿るといわれる。
不二の水 - 伏見の名水。武運長久・学問向上・勝運を授けるとされる。
紫陽花苑 - 紫陽花祭りで公開される。第一紫陽花苑と第二紫陽花苑がある。3,500本ものあじさいが咲き誇るアジサイの名所。
摂末社 - 八幡宮社、大将軍社、藤森稲荷社、大日如来社、祖霊社、七宮社、天満宮社。

祭事

毎月1・5・15日
月次祭
毎月5日
願駈祭(がんかけさい)
1月1日
歳旦祭
1月16日
御木始・御弓始 - 氏子内の大工が奉仕し工事の安全を祈り、的に鬼という字を三つ書き、矢を射て悪鬼を祓い平穏を祈る。
2月節分
節分祭・追儺式
5月3日
神輿神霊遷
5月4日
宵宮祭・節句祭
5月5日
藤森祭 - 菖蒲の節句の発祥の祭。駈馬神事、時代行列(武者行列)、神楽奉納などが行われる。
6月
紫陽花まつり - 3,500株のあじさいが紫陽花苑に咲く。蹴鞠や雅楽が奉納される。
6月30日
夏越大祓式 - 茅の輪くぐりなど。
8月7日
七夕祭
11月5日
秋季大祭並火焚祭 - 本殿前の火床で火焚木を焚いて氏子中の安全を祈る。
11月第2/3月曜
シンシン祭 - 競馬と馬を愛する人たちの祭典。

歴史

203年
「日本書紀」によると、神功皇后が、この藤森の地を神在の聖地として、新羅出兵から凱旋し、塚を作り、その兵具を納めて「いくさ旗」「纛旗」を立てて神として祀ったことが由来。
759年
舎人親王を祀る藤尾社(現在の東殿)が、藤尾の地に創建された。
794年
桓武天皇により弓兵政所とされ、遷都奉幣の儀式が行われた。
860年
清和天皇の宝祚に際し、奉幣の神事が行われ、藤森祭の由来となった。
1438年
後花園天皇の勅命により、将軍 足利義教が、山頂の伏見稲荷大社を、藤尾社のあった藤尾の地に移したことで、藤尾社を、現在の東殿に遷座し、官幣の儀式が行われた。伏見稲荷大社周辺の住民は、現在でも当社の氏子となっている。現在の地は、元は真幡寸神社(現在の城南宮)の社地であり、このとき真幡寸神社も現在の地に遷座した。
1470年
塚本の地に創建されていた早良親王を祀る「塚本社」を現在の西殿に遷座し合祀した。

撮影後記

 深草の産土神。 ここは、駈馬神事や紫陽花で名高いのですが、まだ両方とも未撮影。
 境内の宝物殿には、馬の博物館が併設され、駈馬神事の写真が展示されています。 その中の一枚が、また素晴らしい流し撮り作品で思わず魅入ってしまいました。 機会があれば、是非挑戦してみたいです。

更新履歴

2012年6月6日
初版をアップロードしました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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