保津峡

トロッコ列車と保津川下り

亀岡盆地から京都盆地の急峻な山間部を蛇行して流れる渓谷。保津川下りや観光トロッコ列車で知られる景勝地である。江戸時代初め、京都の豪商・角倉了以が河川改修し、丹波と京を結ぶ高瀬舟による舟運が栄えた。

保津峡

保津峡について

基本情報

名称
保津峡(ほづきょう)
別称
保津川峡谷
指定
流域71.3ヘクタールが京都府立保津峡自然公園
駐車場
無料駐車場80台 - 保津川下り乗り場。
交通機関
JR亀岡駅徒歩8分 - 保津川下り乗り場。
所在地
京都府亀岡市保津町および篠町・京都市右京区嵯峨
サイト
保津川下り 嵯峨野観光鉄道

概要

川下りや観光トロッコ列車で知られる景勝地であり、流域は京都府立保津峡自然公園に指定されている。 佐々里峠を発する桂川は、やがて亀岡盆地から京都盆地に出る。 この亀岡盆地から京都盆地の11.5kmに渡る愛宕山南麓の狭隘な山間部を蛇行して流れる渓谷が保津峡である。 巨岩奇岩に富んだ急流と瀞が続き、大高瀬、二股の瀬、殿の漁場、女渕、烏帽子岩、鎧岩、かえる岩、書物岩、ライオン岩などが点在する。 江戸時代初めまで、急流の続く保津川では、丹波から京への物流は人馬頼りであったた。 そこで京都の豪商・角倉了以が、河川改修工事の許可と通航料徴収などの権利を得て、舟運(高瀬舟)を用いることを計画し、わずか半年で竣工させた。 以後、丹波と京を結ぶ動脈として発展していく。 この水運も明治32年の京都鉄道(のちの山陰本線)の開通によって衰退し、戦後まもなく姿を消した。 現在、春の桜やツツジ、秋の紅葉などを楽しもうと、春の桜やツツジ、秋の紅葉を楽しもうと、遊覧船やラフティングによる「保津川下り」や、嵯峨野観光鉄道が運行している「トロッコ列車」が、名勝嵐山に近いことから人気を博している。

名所

観光名物
保津川下り - 亀岡から嵐山までの16キロ、2時間の船旅。
トロッコ列車 - 嵯峨嵐山駅と馬堀駅間の旧線を走る観光トロッコ列車。
ラフティング - 保津川下りと同じコースをラフト(ゴム製ボート)で下る。

歴史

1606年
角倉了以が保津峡の河川改修工事に着手。
同年
わずか半年で竣工し、高瀬舟が通行できるようになった。以後、保津川の舟運は丹波と京都を結ぶ動脈として発展。
明治28年
遊覧船による観光客を対象とした川下りも始まった。
明治32年
京都鉄道(後の山陰本線)が開通。以後、水運は衰退していく。
昭和23年頃
高瀬舟での航行が姿を消した。
平成元年
山陰本線の輸送力改善として、嵯峨駅-馬堀駅間をトンネルで直線状に短絡し、保津川沿いの旧線は廃線となった。
平成3年
旧線が観光専用鉄道として活用され、嵯峨野観光線「トロッコ列車」が運行。

撮影後記

 トロッコ列車や保津川川下りは利用したことがないので、全行程は見ていません。 ギャラリーの撮影は徒歩によります。 ルートは、鳥居本からトンネルを抜けて清滝へ。 清滝からは東海自然歩道で清滝川沿いに南下して保津峡に出ます。 そして帰りは、六丁峠を越えて鳥居本の駐車場へと戻りました。 ゆっくり撮影しながら、無料で半日たのしめるコースです。
 現在は観光筏を何艘も乗せたトラックが国道9号を亀岡へ向かうのを見かけますが、昔は高瀬舟の戻しをどうやっていたのか疑問だったので調べてみました。 右岸に舟曳路が造られ、人夫が川に浮かべた船を曳きながら何時間もかけて亀岡まで遡っていたとのこと。 今より水運が利用されていた日本でも、昔は川沿いに曳舟道があったそうで、知りませんでした。 イギリスでは、今でも運河でナロウボートが航行していますね。

更新履歴

2011年9月25日
初版をアップロードしました。
2012年1月23日
ギャラリーに作品を2点追加しました。
2013年12月31日
携帯電話・スマートフォン専用壁紙を休止しました。
2014年1月1日
一部の無料壁紙を会員限定の閲覧に制限しました。

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